<2人の上司が一部上場社長に>ファンケル創業者 | ☆同窓生の窓☆西一之江小&松江五中

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<2人の上司が一部上場社長に>ファンケル創業者
池森さん01
 ↑ “カンブリア宮殿”   2007年5月21日 ↑
 ↑ 小池栄子さん、池森賢二さん、村上龍さん ↑

 
以前、私の直属の上司で当時課長だった人が、
『SHOW ME』の森川由加里の叔父で、
一部上場会社の社長になっていたということを書きました。
今回は別の会社で直属の上司で当時課長だった人が、
やはり一部上場会社の社長になっていたということを書きます。
前回にも書いてありましたが、
ファンケルの創業者のかたです。
 
池森さん02
 ↑ 池森政治(まさはる)さん 2012年 ↑

 

☆テレビで知った・・・
ファンケルといえば、
無添加化粧品で有名になり、
東証1部上場の超優良企業で、
今はいろいろ多角経営になっているようです。
人生というのは、実に奇遇で、
なんと、その創業者と出会っていたのでした。。。
 
はじめは、
ニュース番組などで何度か見かけ、
「よく似ているな」というくらいだったのですが、
そのうち、名前がわかり、
名字が同じなので、
たぶん間違いないと思うようになりました。
ある時、チャンネルを変えていると、
その見覚えある人の顔が映っていました。
“カンブリア宮殿”という、
テレビ東京系月曜午後10時放送で、
村上龍と小池栄子が司会の番組でした。
調べてみたら、
2007年5月21日(月)放送で、
月日の経つのははやいもので、
もう10年近くも前だったのですね・・・
 
出ていたのはお兄さんの池森賢二さんだったのですが、
そっくりまではいかないまでもよく似ていました。
特徴のあるやさしそうな顔で、見覚えがありました。
話の中に、クリーニングのことが出てきました。
これで、ほぼ確証を得ました。
昔、直属の上司でファンケルの創業者になったのは、
池森政治(まさはる)さんで、浦安に住んでいました。
当時、会社は両国にあり、
私の家は中間の江戸川区にありましたので、
雨の日など池森さんが会社の車で帰宅するとき、
送ってもらっていました。
中間といっても少しまわり道でしたので、
池森さんのやさしい気遣いがありました。
ふだんから気さくでやさしく親切な人柄でした。
顔にも笑顔としてやさしさが表れていました。
そんなある雨の日、車に同乗させていただき、
途中の江東区大島まで来たとき、
「ここのクリーニングのチェーン店を、
 兄がやっていて、なかなからしい・・・」
と池森さんが言っていました。
そうここでテレビの中の話と結びつきました。
私は、少し興奮気味にテレビに見入っていました。
 
その後、インターネットで、
ファンケルの何かの集合写真を見つけました。
同じ顔が、ふたつ写っていました。
一方が、賢二氏で、
もうひとりが、政治氏ではないかと、
ほぼ確定しました。
年月も経っていましたが、
いくら、似た人がいるといっても、
特徴のある顔でしたので、
間違いないと思いました。。。
 
完全に池森さんと確証を得たのは、
そのちょうど一年後でした。
私の家族が、
ファンケルの製品を使っているのを見て、
これまでのことを話しましたら、
「きっとそうだよ」ということで、
改めてネットで、調べてみました。
以前は、ネットは定額制の契約でなく、
なかなか使えませんでしたが、
自由に使えるようになっていましたので、
じっくり探すことができ、
池森政治さんの名前を見つけることができたのでした。。。
 
 
☆ファンケル創業のきっかけ
ファンケル創業のきっかけは、
お兄さんの賢二さんが、
奥さんが化粧品で肌が荒れるということで、
どうにかならないかと思ったのがはじまり。
防腐剤等の添加物に問題があるとわかり、
無添加化粧品の開発にかかりましたが、
なかなかうまくいかず、
政治さんに相談したそうです。
試行錯誤の末、問題のあった製造方法を改良し、
順調な営業に導くことになったそうです。
 
政治さんは、一時は、社長職なども歴任し、
現在は、相談役になっているらしいです。
自分の関わった人が、
そんな人になっていたなんて、
とても信じられません。
嬉しい気持ちと、夢みたいな話で、
感慨ひとしおです・・・。
 
 
池森さん03
  ↑ 当時の私(25歳) 1977年 ↑
 
☆親近感
当時、池森政治さんは浦安に引っ越したばかりで、
私も何度か行ったことがありました。
顔だけでなく、
何事もやさしく丁寧でしたので、ずっと尊敬していました。
私の父は「政利」といい、従兄弟も「政行」で、
同じ「政」が付き親しみもありました。
最近気がついたのですが、
年齢からすると辰年で、
同じ辰年の私のひと回り上で、
やはり同じ辰年の私の父との間になるのでした。
 
池森政治さんの出身は千葉工業大学で、
私の息子も千葉工業大に偶然関係ができ、
何かのえにしを感じています。
私のいた会社の社長や同僚などでも、
千葉工業大出身の人がいて、
そういう縁だったのかと思いました。
千葉工業大は、元々国立大学にする予定で設立され、
当初の講師陣も東大出身のかたが多かったようです。
大戦の影響などで結局国立にはならなかったようです。
最近はロボットや衛星などで、
マスコミに取り上げられることも多く、
就職率が上り、志望者の増加率もすごいらしいです。
 
 
池森さん04
  ↑ 両国にあった会社(まだ建物はそのまま) ↑
  
☆当時の会社
池森政治さんが私の上司だった会社は、
テープレコーダーの製造会社でした。
主にシャープの下請け・OEMで、
ラジオカセットレコーダーをつくっていました。
他にも兼松江商などのOEMで、
海外向けのカセットテープレコーダーもつくっていました。
池森さんはそこの設計課の課長をしていて、
主に電子回路のほうの担当でした。
 
池森さん05
  ↑ 東北工場(まだ建物はそのまま) ↑
  
メインの工場は岩手県の山奥にあり、
秋田県に近い西和賀町(湯田町)という豪雪地帯でした。
当時は最寄りが陸中川尻駅でしたがその後改築し、
温泉がある駅『ほっとゆだ駅』となり、
テレビなどでも取り上げられていました。
NHKの「ゆく年くる年」で中継されたり、
狩猟のマタギや健康推進地域とかで有名な、
沢内村も隣接していましたが、
今は合併したらしいです。
工場の規模は、
50人位のベルトコンベア・ラインが2ラインと、
下処理等する部署や検査、出荷などの部署があり、
学校の体育館数個分くらいの広さ。
県道の脇にあったが、
まわりは田畑が多かった。
四十年近く経った現在も建物は残っていて、
一時、私の友人達が元の従業員などを集めて使っていたが、
現在他の企業が使っているよう・・・。
 
池森さん06
  ↑ 東北工場の寮 1977年 ↑
  
私もひと冬いましたが、
会社の寮が川沿いの崖の上にあり、
画家の別荘だった所で、
見晴らしもよく、広い家でした。
中学校の通り道になっていましたが、
街灯もなく夜は真っ暗で、
少し離れた寮母さんの家に電話を借りにいくときは、
少し淋しく感じました。
月明かりがあればやっとまわりが見え、
さすが月明かりってすごいなと思ったものでした。
その寮も現在は似たような建物のようですが、
建て替えられていました・・・。
 
下請け工場のひとつも秋田県横手にありました。
『かまくら』で有名な所です。
JR北上線が北上駅から横手駅までで、
途中に陸中川尻駅(ほっとゆだ駅)がありました。
休日などは、よく横手に遊びに行きました。
北上も大きい町でしたが、あまり行きませんでした。
 
他にも下請け工場は、
八千代市や大宮市、長野県佐久市にもあり、
私はすべての工場に行ったことがあります。
佐久は御代田(みよた)という大村田駅の近くで、
陣屋だった和風の古めかしい宿に泊まりました。
鯉こくを初めて食べた思い出があります。
 
しかし、
そんな会社も終わりが訪れました。
どういう事情だったかよくわかりませんでしたが、
社長は以前にも会社をつぶしたことがあり、
今回も取り込み詐欺のように持ち逃げしたのではないかとか、
つぶし癖があるのではとか言われていました。
シャープのほうからか、
銀行系の人が社内改善で入ってきたとき、
大丈夫なのかなと思った人は多かったと思いますが、
最後まで結果を見るまでは職を離れられないものでした。
結局、それから数ヶ月で会社は倒産しました。
翌日の新聞の片隅に記事が載っていました。
曲がりなりにも新聞に載るということは、
それなりの規模の倒産だったようです。
それが何日だったか覚えていなくて、
最近わかったのですが、
なんと私の結婚記念日になっていて、
なんというめぐり合わせかと思いました。
でもそんな不吉な結果にはならないよう祈ります。
 
 
☆倒産後
1978年、年の瀬迫る10月に小島電子工業は倒産し、
幹部の主だった人たちは、
兼松江商の関係の兼松電子にコネで再就職したと聞いていました。
その後兼松電子は急速に躍進し、
株価も相当上がっていましたので、
再就職できた人たちはよかったなと思っていたのですが、
しかしその中には池森さんはいなかったようです。
 
池森さんは買ったばかりだった浦安の家を引き払い、
奥さんの実家のある福島県に転居していました。
奥さんの義弟が建築士で、
いっしょに不動産屋をやろうということだったとのこと。
倒産の翌年の1979年には、
宅地建物取引主任者の資格を取って、
不動産業を開業しているので、
さすが転んでもただでは起きない。
 
そしてまた大転機となるお兄さんからの依頼があり、
なんとか問題点を解決でき、
肝心の製造を軌道に乗せることができたのでした。
なんという『運気』だったのでしょうね。
社長や会長を歴任し、現在は相談役になっています。
倒産がなければ、
もしかしたら今のファンケルもなかったかもしれません。
 
当初の製造工場は千葉県流山市ではじまり、
パートの女性十数人だったということです。
生産が安定するとまたたく間に売上が伸び、
工場を増築し人員も倍以上になります。
1991年には流山工業団地内に、
大きな工場を建て移転しました。
どんどん躍進し、
1999年には東京証券取引所市場第一部上場を果たしました。
いまや、
グループ全体の連結の年間売上額は約1000億円、
社員は約3000人にもなるそうです・・・。
本社は横浜のほうになりましたが、
主力工場は流山のほうで、
流山市でも有数の企業になっています。
そんなこともあり2011年から、
池森さんは流山市の商工会議所の会頭になっています。
商工会議所はいろいろな仕事があり、
商工業の発展に関することだけでなく、
市民まつりや花火大会、体育祭なども開催しているそうです。
毎月いろいろな行事があり、
土日も休みなく現在は本業よりも忙しいそうです。
 
現在流山市に住んでいるようですが、
私の妹も流山市の運河という所に住んでいます。
私の弟は東京理科大で、
この運河にあるキャンパスも行ったことがあるとのこと。
(※キャンパスは野田市になる。)
私の両親は隣りの野田市に住んでいて、
私の家から両親の家へ行くときは、
流山は通り道になっています。
流山工業団地はその道沿いにあり、
ファンケルの大きな工場を横目で見て、
いつも池森さんの会社だと感慨深く思うのでした・・・。
 
 
☆連絡
2007年に『カンブリア宮殿』を見て、
翌年、ネットで確証を得て、
すぐに池森さんと連絡が取れたわけではありませんでした。
こちらもいろいろあり、
なかなか手がつけられない状態でした。
5年も経って、
2012年私も還暦になり少し落ち着いてきたので、
同級生で幼なじみだった、
江戸川区区会議員の中山隆仁君に連絡を取るようになったり、
池森さんに連絡を取ろうと思うようになりました。
 
連絡はどうしたものかと思い、
とりあえずファンケルのホームページを見てみた。
連絡に使えそうな項目は見当たらないので、
問い合わせのフォームをのぞいてみることにした。
しかし限られた項目しかなく、
その上、会員に限られていた。
いろいろ探したがそれしか方法がなく、
会員登録し、
問い合わせのフォームの少し書き込める部分があったので、
私事ですがということで送信しました。
業務に関係ないことなので、
受け付けてくれないだろうと思っていました。
数日経っても何の連絡もありません。
やはり私事は取り合ってもらえないのかと思いました。
一週間くらいが経って、
来た!!!
わくわくして読んだ!
覚えてくれていたし、
もう一人同じ会社で機械設計の課長だった人も、
私を覚えてくれていたとのこと。
 
「会える日がくればいいですね」
ということでしたが、
いろいろ忙しいようで邪魔にならないようにと、
メールを時々交わす程度にしてきました。
そんなこんなでもう4年が過ぎてしまいましたが、
いずれは一度、
何かの機会に会えればと思っています。。。
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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↑松浦稔(1952年7月7日生)↑
 
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特に同じ学年のかたなら、
とても嬉しいですが、
学年・年齢は違っても、
同じ学校、
西一之江小、
松江5中 に関係のあるかた、
是非、ご連絡ください♪

 
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