DOROのブログ

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遅くなりました。

ルールの意味ですが、
こちらが返信するまで、
一回の発言文書のアップロードに
一つのコメントでお願いしたいということです。

コメントも長文掲載可能だと思いますので。

こちらもコメントを公開するまで、
議論の内容では新たに発言は控えます。

うまく趣旨が伝わらなかったため、
今回は二件とも掲載しました。

さて、

観法否定の立場では、
機のすがたへの細かい洞察は
敬遠するか、
或いは、
できないのかも知れませんが、
どうぞ忍辱の弘法を
念じて頂きたいと思います。

更に確認を続けさせて頂きたいと
思います。


細かいことかも知れませんが、
『闡提の機』と言って、
名詞的に使われる仏語だと思います。

そのため、あまり、『闡提の罪』『闡提罪』
などには言われないようです。

疎い方ですが、
普通、名詞の同義語は、
形容詞や動詞にはなり得ない、
と理解しています。

『死者』の同義は、『死んだ人』ですが、
『死んだこと』とは言いません。


『生存』の同義は、『生きていること』
でよいかと思います。

『生存者』の同義は、『生きている人』とか、『生きのびた人』と思います。

『生存』の同義として、『生きている人』
と言ったり、
『生存者』の同義として、『生きていること』
と言ったりは、しないはずです。


学校やり直せと指摘されていますが、
なおかつ議論を続けて頂いているので、
共に日本語の会話が一応通ずるという認識を
してもらっていると思います。


善根を断ずる、とか、
善根がない、という形容詞ではなく、
『断善根の衆生』という名詞が適切
ではないでしょうか。


更に、煩雑と思われないかと案じますが、
『善根』とは、仏教で教える善根で良いでしょうか。

であれば、
『断善根』とは、
正法を断ずるということになり、
仏法(因果の道理)を信ずる心がない、
ということになるかと。

そこから、
『因果撥無』も、『闡提』の同義語でよいでしょうか?

仏法・因果の道理を撥ねつけて信じないことからか、
『信不具足』
をあげる立場もあるようですが、
どうでしょうか。

『無信』
と言ってもよいと思います。


さらには、この信心は、
真実なるものか虚仮不実の信心か。


上記にお答えをお願いします。


親鸞聖人が大変尊敬されている天親菩薩は、
大乗仏教を謗ったことを懺悔し、
真実の仏法を伝える転悪成善の身に
なられました。

闡提の意味を誤解していたら、
その大小を論ぜず、
懺悔向上できるような
議論をしたいと思います。



ちなみにまた、念のため、
教えに自分の考えを入れるのは論外ですが、
今回の議論が、どこかの誰かの受け売りか、
或いは二番煎じの踏襲でないか、
二度手間を避けるため、
失礼ながらお尋ねします。

Rさんは、
逆謗闡提ではない悪凡夫
ということで
良いでしょうか?

その場合、
今回の議論で誤った教えを主張して
謗法罪になる可能性を除外して、
どれくらいの罪を造っている自覚があるのでしょうか。

それにより、信心獲得せねば、
どのような後生になると
思っているのでしょうか。


造悪無碍の異安心ということを聞くことがありますが、
造悪無碍は異安心と主張しますでしょうか、
或いは造悪無碍という異安心はない、
という立場でしょうか。


闡提の機の後生は、どうなるか、
ご存知だったりしますでしょうか。

色々興味が出て尋ねてしまいますが、
以上どうぞよろしくお願いします。



















滞って申し訳ありませんでした。

私はWeb上ではとても体力消耗が
激しく感じます。

絶えず閲覧される方もあるようですが、
スタミナが切れないコツあればお教え頂きたいです。


当然無視などではなく、
色々考えていたのですが、
闡提云々以前に、
思ったよりも善悪の解釈が相違しており、
まずは、
一切の群生海が、
悪人なのか、そうでないのか、
から話し合わないと、
お互いの共通点が少なすぎて、
すれ違いのロスが膨大になるのではないか、
と思ったのですが、
どうでしょう。


ここまで違うというのは想定外で、
先見性が至らなかったことは
申し訳ないです。



前回の続きについてですが、
前回の質問が意味不明とのこと、
再度お尋ねします。


涅槃経のお言葉では、
直接に『闡提』という言葉では、
闡提になった、闡提でなくなった
とは言われていないではないでしょうか。

闡提と同義語として
拝受しているところからの解釈であるはずです。

後で解釈を変えると疑うつもりはないですが、
どんなお言葉を、
同義語と頂いているのか、
或いは類義語として受け取っているのか、
伺いたい。

教義に自信を感ずる方であるため、
この際、闡提に関する関連のお言葉を全て、
どう頂いているか、
承りたい。



追伸

またしても、
直接この件ではなく、
場を借りて失礼します。

私が書いたことで、
重視してほしいところ以外の
批判は多く、
駄文のためか、正直期待外れは多い。

どこかで聞いたような
受け売り、二番煎じのような批判、
それを反復されても、
ロスが多いのに、
と思うこと度々。

クオリティを感じないというか。

お互い思うことかも知れないが、
私が逆の立場なら、
もっと辛辣に批判するのに。

時間あったら試しに、なう、で
やってみようかな、と思う。

この議論で
私の発言が増えて
アンフェアだと言われたら
やめますが、
よいですかね。


最後に、
再度の注文かと思い度々申し訳ないですが、
一回の発言につき一回でお願いしたく。

時間のあるほうが
どんどん書きまくったら
アンフェアかと思うので。

そのため今回も、
三件同時発言です。

煩雑で申し訳ない。




お答えしていないというのは。


わかっていて聞くのでしたら

意地が悪いというか…


的外れな根拠を出させて晒し者にしたいのでしょうか。


私は乗りませんよ…




2つめの発言に書いたように

目的違いなら、

そんな根拠ない


という立場を取りたい人です。




*以下は単なる所感ですので、

読んで頂かなくても構いません。



結論を言うまでに種々の御文をひとつづつ並べようとすると

途中で

「答えになっていない」

とか

「はぐらかしている」

とか

「関係ない御文出すな」

とか

そうやって責める人が

多いのではないでしょうか。


その間、

日本語読めないのだね

とか

思い込み

とか

マインドコントロールされている

とか

散々言われるのに耐えないといけない。



長い話の途中途中に

そういう間隙が入るために、

積み上げていく理解が得られず、


結局答えはないのね


となる。



神経過敏ですよこちらは。


成果は見込めない。




そうは言っても無限に説明し続けるつもりもないので


もし、そちら方が邪義だと思うことが

どんな理解をしているのか。


論法を使っているのか。


なぜそれだけ邪義だと言っても、

そちらになびかない人がいるのか。


分析したければ

少し長めのお話を聞いてみても良いのかも知れないですよ。



ちょっとだけでも立場を変えれば、

頭がおかしいとか洗脳だとかではなく、

二つの立場の、どちらもほんとらしく

聞こえるものです。



まずはそこまで

硬化した態度を改めてもらわないと。



「なかなか難しい問題だけど

一緒に真実をあきらかにしていきましょうか」

という立場になれば、話は早い。


が、

「簡単な問題でしょ、根拠出せばいいんだよ」


といった

「教えを単純化する」

「安易なもの」と思う、

極難信に反する態度が

フタをしている。