「なぜ、勉強しなければいけないのか」と子供に訊かれたとき、もっとも納得できる答えはなんでしょうか。

そんな質問がヤフー知恵袋にあったと、友人のブログで紹介されていた。ヤフー知恵袋は確認していないが、私なりの答えを書いてみたい。

「水からの伝言」という、ある意味非常に有名な著作がある。それに書いてあることを列記すると、


・水の結晶を作る際に「ありがとう」や「平和」など「よい言葉」をかけると美しい雪花状の結晶ができる。「ばかやろう」や「戦争」など「悪い言葉」をかけると汚い結晶ができる。

・クラシックを聴かせると綺麗な結晶になるが、ハードロックを聴かせると結晶の形が崩れる。

・「ありがとう!」と声をかけ続けられたごはんは、半ば発酵状態となり、芳醇な香りを発し、「ばかやろう!」と声をかけ続けられたごはんは、真っ黒に変色して腐り、ひどい匂いになる。


とまぁ、こんな感じだ。
で、驚くべきことに、これをそのまま信じ込んでしまう人が非常に多いのである。ある程度の知識(というか常識)があれば、こんな話、信じるワケがない。

数学の勉強で論理的思考を身につけ、国語力を磨いて行間を読める(空気を読める)ようになり、物理や生物について知ることで世界の成り立ちを識り・・

勉強していないと、オカルトにもハマりやすいし、怪しい宗教にもダマされやすい。科学的知識と論理的思考が身についていれば、そういう危険から身を守ることができる。
もちろん普通に仕事をする上でも、これらの能力は有用だ。逆に言えば、一般的な社会で上手く行かなかった人こそが、科学と論理に背を向けるようになり、オカルトに嵌まるのかもしれない。


さて「水からの伝言」であるが、驚いたことにコレを学校の授業に使おうとした教師がいたらしい。もちろん本当に信じ込んでの話である。

では道徳の授業として使うのなら?
それもダメである。「美しい結晶は良いもの」、「汚い結晶は悪いもの」と差別するってことは、美人は良くてブサイクはダメってことにもなるからだ。外見で人を判断しないと指導するのが教師ってものだろう。