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先日、野球観戦と故郷ヒロシマのぶらぶら歩きを兼ねて出掛けた。
一日目の4月19日(金)は、1日で日頃の3日分程の欲張りな行動をした。
広島県立美術館
魅力的な美術展が開催中なので行程に入れた。
フランスのブルターニュ地方の自然や人々の生活を描いた作品65点が展示
されていた。殆ど知らない画家ばかりだったが絵は楽しめた。
テオドール・ギュダン《ベル=イル沿岸の暴風雨》1851年 ★ポストカード
写実的に描かれていて迫力がある絵。雲間から射す一筋の光が波をオレンジ
色に染めているのが印象的だった。
リュシア・シモン《じゃがいもの収穫》1907年 ★ポストカード
芋を掘る人、集めて袋に入れる人、運ぶ人。痩せた畑地であるが、働く人は
粛々と仕事をして、色彩も明るく、重苦しさが無いのが印象的だった。
名勝・縮景園
この庭園は1620年、広島藩主・浅野家の別邸として設けられたと言われる。
広々とした庭園を散策。青空から青葉若葉に光が射して眩しいほどだった。
キクモモ(菊桃)が満開で綺麗だった。
庭園は原爆投下により無残な姿になった。
マツとイチョウの各一本が被爆に耐え、今も元気に生きている。
被爆樹木に指定され大切に保護されている。
平和記念公園
コロナ禍が一段落して、海外からも大勢の観光客が訪れていた。
この地はふつうの観光気分では来ない方が良い。慰霊碑参拝の場であり、
世界の平和や核について思いを巡らせ学ぶ場である。
一人でも多くの人が何かを学んで欲しいものです。
広島市立高女の原爆慰霊碑を訪ねて
Doremifaの母校、県立舟入高等学校の前身なので、ここ毎年、立ち寄って
いる。
あの日、市立高女の1、2年生541名と先生7名は、爆心地から約600mのこ
の場所で建物疎開作業をしていた。同校では、他所での動員生徒を含めて
676名が被爆死した。市内の学校では最も多い犠牲者だった。
あの日、「水をください!」と言いながら亡くなった方は多い。
丁度、水が無くなっていたので、水を用意してきて正解だった。
(墓地に供えてある水道・バケツ・柄杓やゴミ箱が欲しい)
本通り
平和公園から、市内で一番長い商店街を散策した。
原爆ドーム前→紙屋町→立町→八丁堀まで電車の駅3つ分の歩き。
広島アンデルセン
1925年(大正14年)銀行の支店として竣工。爆心地から350mだったが全壊
を免れた。被爆建物として保存され、ベーカリーショップになっている。
八丁堀の朝日珈琲サロン
毎回立ち寄るお店。
ここで少し休憩して市電に乗り広島駅近くのホテルに午後4時チェックイン。
マツダスタジアムのナイター観戦
広島vs巨人。1点勝負の緊迫したゲームだった。
なんと、なんと、ゼロの行列。延長12回までやって、0対0の引き分け。
どちらも、好守備でよく耐えた、ナイスゲームだった!
午後6時から10時まで、応援頑張って、疲れたー!
両軍選手もお疲れさん。今日のは心地よい疲れだ!
ご覧いただきありがとうございました。