九里一平作品集 | ドナドナ雑記帳

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 お久しぶりです!引っ越しでバタバタしているうちにあっという間に12月!しかもあと二週間で2016年も終わりを迎えてしまうんですね。。。一年って早い、って毎年言っている気がします。光陰矢の如しですね。寒くなってきたので皆さんもご自愛ください!

 さて、前回のミュシャの記事、結構いいねを頂いていて嬉しかったです。やっぱりミュシャは不動の人気ですね!このただ単に私の好きな画家を紹介していく記事も、川瀬巴水ミュシャときて今回で第3弾。今回は九里一平について。

 

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  九里一平、皆さんご存じでしょうか?かの有名な“竜の子プロダクション(タツノコプロ)”の三代目社長であり、ガッチャマンみなしごハッチをこの世に送り出した人物です。まずはそんな彼の生い立ちから。

 

 

 

 

 

九里一平という人

 九里一平、本名吉田豊治は1940年元旦の京都で、タツノコプロ創業経営者一族である「吉田三兄弟」の三男として産声を上げた。長兄・吉田竜夫は漫画家、アニメ原作者として、次兄・吉田健二はアニメプロデューサーとして活躍した。

 三兄弟の母親は九里を産んですぐ他界し、父親は戦争で満州に送られ捕虜となった。父は戦後4年に帰国したものの、しばらくして鬼籍に入った。その後祖母に引き取られ、貧しい暮らしを送った少年期であった。

 挿絵や漫画を描いて活躍していた兄の背中を追い、高校を中退して次兄とともに上京。長兄のアシスタントとして活動するようになった。その1年後には赤本の描き下ろし単行本『あばれ天狗』でデビューを果たす。

 さらにその3年後の1962年、三兄弟で「竜の子プロダクション」(タツノコプロ)を創設した。 

 「ガッチャマン」「キャシャーン」が放映された1970年代。同2作は好評を博し、どちらも高視聴率のうちに終了。タツノコプロは軌道に乗り、まさに右肩上がりだった。そんな時、九里が尊敬してやまない長兄の肝臓がんが発覚。余命は一年だった。彼は兄のことをこう語っている。

 兄は、人としても誰からも尊敬され、愛される、カリスマ的な人間だった。超越した優しさをもっていること、単純明快なこと、神様のようにあっという間に問題を解決してくれること、笑顔でやすやすと人を助けてくれること、これらを兼ね備えた人物が僕にとってのヒーロー像だが、兄はまさに、僕のヒーローだった。(九里一平作品集より引用)

 父であり、友人であり、よき理解者であり、そして絵の師匠でもあった兄を失い、残された次兄と九里は、その悲しみを作品に昇華し、兄の残したタツノコプロをその後40年に渡って牽引した。現在は京都美術工芸大学で客員教授を務めている。

 

 

 

“絵”の可能性

 戦後の日本の子どもたちに、アニメを通して“理想のヒーロー像”や生きる道しるべを与え、希望や夢を持つことの大切さを教えた九里一平。彼の原点は戦後の市だった。貧しい時代でも、絵の中でなら、何でも手に入った。その自由を求める心が彼の想像力を育てたのだろう。

 米軍が持ち込んだアメコミに夢中になった九里は、その中の強くてたくましいヒーローに憧れ、独学で絵を学んだ。とにかく描き、描き続け、確固たるデッサン力を身につけた。私の大好きな迷いのないピシッとした力強い線や、極端なデフォルメなのにも関わらず“違和感”を一切感じず、むしろ親しみを抱くその絵は、狂いないデッサン力に裏打ちされたものだ。

 デッサン力以外では、色使いも魅力のひとつだ。原色のまま使っていることが多いのも、アメコミの影響だろうか。しなやかな筋肉と、ハッキリと主張する色使いは、どこか“生命の輝き”を想起させる。素直に生きることの美しさというべきか、ともかくその強い訴えは見る者の心に、確実に愛や夢や希望を抱かせてくれる。幼き日の九里少年が紙に絵という夢を落とし込んだように、“絵の可能性”は無限大だ。

 この画集は、そんな九里のあらゆる絵柄をあますことなく楽しめる。ただの画集のように淡々と絵が並べられているわけでもなく、一冊まるごとデザインされつくした画集。眺めるだけで元気が出るので、よく寝る前にみている。心のビタミンだ。

 10代でデビューしていまなお、九里は描き続けている。この人は根っからの絵描きで、きっとこれからもずっと絵描きでありつづけるだろう。絵に対して真摯でいることが、どんなに難しいことか。ずっと少年の気持ちを忘れない彼だからこそ、そうあり続けることができるのかもしれない。