一つ前の記事を先にお読みください。
新型コロナウィルス感染拡大を終息させる方法は非常に簡単である。
人が出歩くから感染するのだ。外出を禁止すれば数週間後には感染者は増えなくなるに違いない。それはみんな分かっている。分かっているはずなのに,さして緊急を要する業種でも無いと思われる中古車屋や紳士服販売店までもが営業を継続し,おそらく休みたいと思っているであろう人たちが働いている。それを誰も止めることができないでいる。少なくとも僕は休みたいと思っている。
緊急事態宣言が出される前日あたりだったか,小池都知事はかなり思い切った休業要請に踏み切ろうとした。その内容に国民はかなりの緊張感を覚えていたが,政府が小池都知事を言い含めて具体的な休業要請に関する慎重な検討を続けるうちに国民の緊張感は若干緩いだ。現在,江ノ島が賑わっているのもおそらくそのせいだ。
政府は国民に一律10万円くれるらしい。事業者にもいくらだかを払うらしい。
休業要請には補償が伴うというようなことを政府も繰り返し言っているのだし,どうせくれるのならさっさとくれれば良いと思うのだが,なんやかやの調整が必要らしく,僕の家にはまだ「2枚のマスク」すら配達されていない。
では話を戻すことにする。
20世紀前半としては非常に民主的だったワイマール憲法の48条に「大統領緊急命令」が規定されていた。
48条:「公共の秩序と安定」が危険にさらされ、国家が憲法の義務を履行できなくなった時、大統領は国軍の援助の下に緊急命令を発出でき、その際に身体の自由、住居不可侵、通信の秘密、言論の自由、集会結社の自由、私有財産の保護の一部または全部を停止することができる。
要は非常時には大統領の判断の下に超法規的措置を取ることができるというものだ。この種の規定は古代ローマの共和制にも見られたようだし,江戸幕府も非常時には複数いる老中から1名を大老に選び,大権を与えたというから,ものすごく珍しいというものではないのだろう。
1929年に世界恐慌が起こり,第1次世界大戦の敗戦国で多額の賠償金を課せられていたドイツは他の国以上に経済的混乱に陥る。議会は深刻な不況への効果的な対策を提示できないまま不信を高めることとなった。そうした中で当時のドイツ大統領ヒンデンブルグは「大統領緊急命令」を多用する。つまり議会を無視した政治を行っていったのである。
「大統領緊急命令」の連発は「民主主義」的政治の姿であるとは言えまい。しかしながら,なにもできない議会に失望した当時のドイツ国民はこの傾向を支持していった。
ヒトラーが政権を握る1933年を待たずして,既にドイツ国民は「民主主義」よりも「強いリーダーシップ」(≒独裁的傾向を持ちかねない指導者)を選択していたのである。
冒頭に書いたように現在の政府は「緊急事態」の中にあって迅速な対応をできずにいる。
政治の中枢にいる安倍総理ですら,「外出禁止」を発令できない,多くの人がすぐに必要としている金銭を素早く支給することもできない。
誰もがそうすべきだと分かっていることを総理大臣ですら種々の手続きを踏んだあとでなければ決定できないのだ。
これが20世紀前半のドイツ国民が感じた「民主主義へのもどかしさ」なのである。
もしも安倍総理が「責任は私が取ります。超法規的措置として本日から当面の生活費として全国民に10万円を支給します。事業者にも50万円ずつ支給します。外出は禁止します。責任は私が取ります。新型コロナウィルスに打ち勝とうではありませんか。」と演説したならば国民は拍手喝采するのではないだろうか。
これが20世紀前半のドイツ国民が支持した「ヒンデンブルグ大統領」なのである。
僕の父親は1945年1月生まれである。太平洋戦争が終わったのが8月だから戦争中に生まれたことにはなるのだが,本人にその自覚はないらしく,先日,太平洋戦争は4年続いたのだと話したら,「そんなに長かったのか」と驚いていた。なお,今のところ認知症とは診断されていない。
僕は1971年生まれだ。
つまり,ありがたいことに親子2代で「民主主義」とともに平和ボケしてこられた。
父親は元気だがあと何十年生きるというものでもなかろう。
僕は,あと30年くらい生きるかもしれないが,おそらく人生で一番楽しいであろう時期を平和ボケしつつ幸せに生きてきたから,それほど思い残すことがあるわけでもない。
故に若い人たちが,このまま「民主主義」を選択しようとも「強いリーダーシップ」を求めて独裁的な政治を容認しようとも,僕自身はどちらでも構わない。
しかしながら,若い人たちには知っておいてほしいのだ。しっかりと意識していてほしいのだ。
どうやら「民主主義」にも欠点はあるらしいということを。
おそらく,あなたが選択したいと思っているであろう「民主主義」にも欠点はあるのだ。
欠点を知った上で「民主主義」政治を支えていくという覚悟をしていかなければ,また「ヒトラー」に未来を掠め取られてしまう。
最後に誤解のないように書いておく。
最近,著名人の中に「非常時だから政権批判は控えるべきだ」という主張をしている人たちがいるようだが,僕はそういうことが言いたいのではない。
批判も支持も大いに結構だ。
ただ,混乱期には「強いリーダーシップ」で支持を集める政治家がしばしば出てくるものである。
リスクを恐れずそうした政治家を支持するか,ジリ貧に耐えつつ民主政治を支持するかをよくよく考えて選んでいただきたいと思うばかりである。