市民会館前の電停で市電を降りて,二の丸公園を目指して
城彩苑の前の横断歩道,相変らず停車しませんなぁ。
T社製の3ナンバー三十代くらいの痩せメガネのアンタたい。
止まらんかな,あほたれ。
坂を上がると警備員さん,二人もおっがね。
誰が配置の管理してんだろ。
一人下に行けばいいじゃん。
城彩苑の中の階段から二の丸公園への横断歩道にも警備員さん
「おはようございます。お世話になります」とこ゜あいさつ。
大原美術館展の中で、ベージュで幾何学的に家を描き赤い丸の点々。
最近のパッチワークの作品みたいだと解説文を読むと・・・・・
ホロコーストで流された血を表している
そう思ってみると、違って見えた。
迫害されたユダヤ人が、今、パレスチナの土地を人を・・・と考えると複雑な気分になった。
昨年、大原コレクションのスポンサー大原孫三郎と作品収集に奔走した
児島虎太郎について、BSで放送された時に紹介された児島の作品もあった。
作品名思い出せないけど
少女と乳飲み子とその母の三人。
その左には、渡欧し作風が一変し明るい色調の作品。
最後の現代絵画は、よくわからん(実際、そばの見知らぬおばちゃんも言いよらした)。
大きな作品の前を人が横切ると、人もまた作品の一部に見えたりして面白かったです。
ただがぴーひゃらぴーひゃら鳴る・・・・( ̄へ  ̄ 凸。
電源くらい切らんかい。
ま、加藤清正展より静かだったけどね。
あん時は、ニギヤカダッタ。
せいしょこさん(清正公)なかた大勢の熊本らしかった。
漆塗りの虎の頭のとか槍とか。
ふだん美術館にあまり来ないような感じの人がわんさか・・・
しかーし今回はいわゆる美術館展だよ
むむぅ~~~~(。・ε・。)
常設展示室などは、永青文庫の兜や鎧、絵巻や県立美術館に所蔵されいてる
焼き物や木像(仏さまや神さま。もっとも魂は抜いて展示されてるんだけど)。
鎧は江戸の平和な時代のものと幕末のもの。
増村益城という漆芸士、熊本商工校出身とあった。
熊工の前身かな。
いつごろから漆芸は学科としてあったのかな。
もともとは職人に弟子入りして修行するような仕事だもんね。
工業の学科は、時代を反映していくね。
漆芸の作品は、高野松山という作家のも展示があった。螺鈿が美しかった。
二人の漆芸士は、熊本出身。
平田郷陽の人形は愛らしかった。着物は木目込みの様式だって。
むぞらしかった(かわいかった)。
父は生人形師とあった。(熊本城)数寄屋丸で展示されてた生人形の作者だったのかな。
隣の永青文庫の展示室は、時習館展。
時習館は熊本藩第六代藩主、重賢(しげたか)が、宝暦2(1752)年に設立した藩校。
熊本城の二の丸公園にあったことくらいしか知らなかったので、勉強になりました。
歴史的な資料の展示品が主でした。
藩校って漢文とか天文、武道などだけでなく、音楽とかも教えていたらしい。
大原美術館展を見に行ったついでに行ったこっちの方が興味深かったです。
帰りは、熊本城を散歩
本丸御殿や天守閣付近には、加藤清正などの装束をつけたおもてなし隊が。
今回は、ご挨拶だけしてきました。
飯田丸櫓の手前の梅園のうめは、ほころびはじめていました。
この季節、ここをウロウロさるくとが好きと。
隣の建物