第36回 金子隆一『アナザー人類興亡史』 | 不快速通勤「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

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読書のほとんどは通勤の電車内。書物のなかの「虚構」世界と、電車内で降りかかるリアルタイムの「現実」世界を、同時に撃つ!

なんか、「年越し」で、
「人類進化」の本を読んでいる。


前回(もう1ヶ月以上前!)とりあげた、

『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』

のあと、

『人類進化の700万年』(三井 誠 著)を読み、

その後、

『アナザー人類興亡史』(金子隆一著)

年越しで(やっと)読了した。


『人類進化の700万年』は新書版で、
『アナザー人類興亡史』はソフトカバーの単行本。

見かけは、『アナザー人類興亡史』のほうが軽い「読み物」風だが、
読み物として内容が頭に入りやすかったのは
むしろ『人類進化の・・・』のほうだった。

『アナザー人類・・・』は、なかなか手ごわい。

これこれこういう仮説があったけど、その後/最近では否定されている、
という展開が多いためもあってか、「流れ」がすんなりと頭に入ってこない。
(おれの読解力不足、素養不足のせいもある)

通勤電車内で読むのではなく、
デスクにむかってきちんとメモをとりながら読むべき本だったかもしれない。

いま「流れ」が頭に入ってこないと書いたが、
現生人類に至る「進化」の流れ自体が、
けっしてすんなりとしたものではない、
という理由もあるかもしれない。

発掘された化石によって、
すでに(とうに)絶滅してしまった「人類」が
地球上に多数存在していたことはあきらかなのだが、
どの「猿人」がどの「エレクトゥス(いわゆる原人)」の祖先なのか、
どの「エレクトゥス」がどの「ホモ属」の祖先なのか、
そして、どの「ホモ属」が「現世人類」の祖先なのか、
複数の「種(亜種)」の混血なのか、そうでないのかも含め、
確実なところはなにも分かっていないに等しい。

まさに「ミッシングリンク」だらけ。
一部が「不明」なのではなく、
一部しか「明らか」になっていない。

進化の「系」を水系にたとえると、
むしろ見えない「地下水系」「暗渠」が大部分だ。

一部分がところどころ、飛び飛びに、
「化石」というかたちで「姿」を垣間見せている。

本書に掲載された様々な猿人・原人の化石写真を見せつけられることによって、
その「実相」が、逆に痛感させられた。

題名になっている「アナザー人類」という名称には、
人類というのはいまの我々(現生人類)だけではなく、
他にも多種多様の「別の人類」、
消えてしまった「傍系」がいたのですよ、
という意味がふつうに籠められているのだが、
本書の最後に至って、
我々はたまたま「アナザー」でなかっただけなのだ、
という強烈なメッセージ(というより現実認識)が
突きつけられる。

つまり・・・、

いったんは、世界中に分布した
多種多様の「アナザー人類」。

それなのに、現生人類の遺伝的性質は、
異常なまでに均一だという。

これは何を意味しているのか?


かつては、もしかしたら、
同時代(といっても数千年以上のスパンだ)に、
複数の異なる「人類」が存在したかもしれないのに、
おそらく「環境」の激変などによって、
人類の多くの「種」が滅亡してしまい、

そして、

その時「たまたま」生存することのできたのが、
現生人類の祖先だったということなのだ。



これはふたつのことを意味する。

ひとつは、
そういった「環境の変化」がなければ、
現在も、もしかしたら、異なる「種」の「人類」が
同時併存していたかもしれない、ということ。


ふたつめは、
環境の変化の仕方によっては、
そのとき生き残ったのは
「ホモ・サピエンス」ではなく、
他の「属」あるいは他の「種」の
「人類」だったかもしれないし、
あるいは、
あらゆる「人類」が滅亡し、
現在の地球上には「人類」が存在していなかったかもしれない、
ということ。

環境に適応したものが生き延びる「適者生存」ではなく、
たんに幸運なものが生き延びる「運者生存」。

我々「ホモ・サピエンス」が「アナザー人類」にならなかったのも、
現在地球上で「唯一」の「現生人類」となっているのも、
「たまたま」なのだ・・・。


もっとも、そういう「たら・れば」を言っていたら
キリがないのも確かだ。

一連の「環境の変化」がなければ、
地球上には、現在も「恐竜」が存在しているのかもしれないし・・・。




また、本書では、いわゆる「ネアンデルタール人」が
現代の人々に混じったら・・・、
というおれにとって嬉しい「仮定」にも言及している。

はてさて、ネアンデルタール人が現代に現れたら、
その姿は人目を惹くのか、否か??

知りたい方はぜひ本書をお読みください・・・、



・・・というのもイヤラシイので、
該当箇所を引用する。


では、ホモ・ネアンデルターレンシスが脱毛して毛皮を現代風の洋服に着替えれば、(中略)現代人に化けおおせるだろうか? 成人の男性ならホモ・ネアンデルターレンシスは相当に人目を引くことだろう。大きな眉上突起は帽子をかぶっていても隠しきることはできない。


そうなのか!!

とはいえ、眉上突起はホモ・ネアンデルターレンシスの男性の第2次性徴のひとつである。女性や幼少の個体では眉上突起はそれほど目立たない。


本書には、コンピュータで復元された
ホモ・ネアンデルターレンシスの少女の
復元模型(の写真?)が載っている。


5歳前後の彼女には多少エキゾチックな雰囲気はあるものの、現代的な白人の女の子にしか見えない。

うむ。

しかも、メラニン色素の生成に関わる遺伝子情報からすると、
ホモ・ネアンデルターレンシスは、
(少なくとも調べた個体に関しては)
髪が赤く、白い肌をしていたらしい。

おそらくホモ・ネアンデルターレンシスの子どもがスクールバスの中にまぎれ込んでいたとしても、周囲の人間が気づくことはないだろう。

そうなのか!!

この少女の写真だけは、
本を買って、見てもらうしかない。


・・・・・・。




こういった「進化」関連の著作に没頭し、
神秘的と表現するのも愚かな「進化」の経緯や、
峻厳な「ボトルネック」を潜り抜けてきた「強運」に想いを馳せたあと、
ふと目の前の「現実」を眺めると・・・、

自分のカラダもアタマも心も膨大な歳月を経て進化してきたのだ、
という圧倒的な「背景」などまるで意識の外にあるような
「せせこましさ」「いじましさ」の数々。


「現生人類」同士、
互いに競い合って、せめぎ合って、奪い合って、
反目し合って、騙し合って、貶め合っているけれど、
そういった個体差に属する「差異」や、
進化してきた時間に較べればほとんど「無時間」に等しいスパン内での「競争」が、
ひどく矮小なものに思えてしまう。

悠久の進化の果てに「席取り」かよ! って。


でも、思えば、その「席取り」こそが、
「進化」につながってきたというのも一面以上の真実なのだ。

だから、「進化」の歴史に想いを馳せると、
その「いじましさ」さえ、
いとおしいものに思えてくる、


思えてくる、


思えてくる・・・


・・・はずなのだが、




不快なやつはやっぱり「不快」だーーーーーー!


こうしか感じられないおれって、狭量なのか?


まあ、いいや。

それに、たぶん、
快・不快に正直になることが
「進化」を促進してきたのだろうしね。





アナザー人類興亡史 -人間になれずに消滅した”傍系人類”の系譜- (知りたい!サイエンス)