6月度例会を21日にウミノ浜町本店3階会議室にて19:30より開催いたしまた。
欠席:杉山 森 吉村 木村会員
今月の例会は経営委員会の林委員長の担当で行なわれました。
林さんは戦後間もない昭和23年に生まれ、クリーニング業を営むご両親の9番目の子供として生まれたそうです。親、兄弟、他人に頼らず、一人で生き貫いた人生をお話いただきました。
私の人生を変えた5年間の裏大学
玉園幼稚園→勝山小学校→長崎中学校→長崎東高等学校
(幼稚園時代)
両親がクリーニング業を営んでおり、子育てが出来ずその当時はまだめずらしかった幼稚園に行かされていた。
(小学校時代)
5年生の時、同級生の喧嘩の仲裁に入りナイフでわき腹を刺され、新聞取り上げられ
全国デビユーを果たす。
(高校時代)
3年生の時卓球部のキャプテン。カンニング事件を起こし1年間卓球部が試合出場停止となった。同僚、後輩にまで迷惑を掛けた。トップに立つ者の責任の重さを感じた。
日本体育大学に高校から推薦されるも不合格。なぜか国士舘大学から合格通知が届く。受験願書すらを出していないのに・・・高校側の推薦手続きのミス?もしくは両大学校同士の「何か」が働いた?
裏口入学みたいな大学進学を辞退、働く事を考える。
(昭和41年~)
大阪の日立造船所の下請け会社入社も喧嘩で退職→三重県伊勢市の造船所に入社も退社→大阪の日立造船所の下請け会社に再入社も、またまた喧嘩で退職
(昭和43年~)
長崎に戻り丸山千日照明係りとしてアルバイト(失業保険を貰いながら)しながら、
長崎県警の受験、→一次試験合格→2次試験の面接で試験管の質問に対し、
好きな政党は「社会党」、(政府は自民党)
好きな本は「漫画本」、 (道楽者)
好きな人物は「坂本竜馬」(倒幕の立役者)
と答え見事に不合格。
まもなくなぜか東京警視庁から採用通知が届く。→迷いも無く辞退
丸山千日でストリップ嬢のメリーナオミと知り合い、ヒモ生活おくることとなる。
(後で分かった事だが、その女性はある親分の2番目の女だった・・・)
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各地のストリップ劇場の公演にあわせ西日本転々とするが、だんだんヒモ生活に飽きてくる。
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長崎に帰り定職の仕事をしようと思い彼女に打診するも、別れを告げられる。
3万円だけ手元に残し有り金全てを彼女へ渡し、福岡へ
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福岡の宝観光 関西ショー劇場社長就任(パクられ役)、結果そうなり、頭すり替えの為、クビ
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久留米国際劇場やハリウッド劇場などのストリップ劇場の支配人として働く
ストリップ劇場のオープン開発スタッフとして中津(大分)、沖縄で市場開拓
社長の突然の交通事故死を機会に帰郷
昭和41年~45年の5年間、友人は普通の大学生活を送ったが、私は、裏大学で通常では考えられない裏家業的なビジネスやさまざまな人間関係を経験し、勉強した。
経営者として必要な「決断」、「責任」、「人」、「金」、「次の一手では遅い」、「ブレない」、「繁盛する商売より、潰れない商売」など、さまざまな経営哲学的な事を身に着けた。
(昭和46年)
帰郷後、中島観光ビル入社。後に㈱パイオニア商事設立
今までの経験を生かし、かつて銅座の街を一斉風靡した伝説の店「おたくさ」「あじさい」など数十店舗を営業。
各店とも黒字経営ではあったが、今後ナイトビジネスは衰退すると判断し約10年前に全店閉店。
(たしかに、今銅座はかつての面影は無い・・・)
現在は、丸山デイサービスセンター「むか-し、昔」を経営 現在に至る。
林委員長、貴重なお話ありがとうございました。