ドコモ新端末でまた不具合 販売停止、ソフトに欠陥か
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/090525/biz0905252139021-n1.htm



このあいだNEC製端末で不具合が見つかったと思ったら、
今度は、パナソニック製の端末で不具合が発生し、販売中止。



これはソフトウェア開発の現場でよくいう『ぼろぼろ』な状態ですね。



これをもってしても、国内端末メーカー各社が、どれだけ開発競争
で疲弊しているかということがよくわかる。

(一社だけなら、別の事情もあるだろうが、これだけ出てくると
 もはや「構造的」な問題だと思う。)






それぞれの端末メーカーのテスト現場では相当妥協したのだろうなと
想像する。



メーカー内部で製造・出荷のゴーサインを出すには、ドコモの
製品販売の意思が必要になるが、そこはうまくやったのだろうと思う。
(端末供給のビジネス・スキームは、簡単に言えば、ドコモの要求に
 応じて、メーカーが製造・出荷する。ドコモの判断に左右されず、
 製造・出荷に踏み切ることはまずないとみていいだろう。)


販売開始に向けた準備の裏で、製品は試験して、最後までバグ出しを
続けていただろうが、デリバリーは決まっており、かつ、コストは
限られ、結果として品質が出荷に値するところまで行き着けなかった。


でも、ドコモは一旦ゴーサインを承認したので、試験が求める水準
まで達していなかったとしても、不具合も見つからないし、
(見つけられないのはドコモの不手際。)そのまま販売しちゃいましょう
という状況が透けて見える。。


よくある話。。



販売停止にまでしたのは、ファームウェアアップデートできない
レベルの不具合なのかもしれないし、今回は記事だけ読むと
i-mode通信ができないという不具合のようだが、機能のアップグレード
にあわせて通信の仕様を変更したのかもしれない。

(私は以前、携帯電話によるインターネットアプリケーションの開発
 に携わったことがあったが、i-modeやi-appliの仕様は細かいレベル
 では人知れず(?)仕様変更が入ることがあった。)



ソフトウェアアップデートですら、私は現在使っているSO905iCSでは
4度も提供されている。


さらに、先日も、ブログに写真をアップロードして、その送信途中に
メールを書こうとしたら、電源がいきなり落ちたが、これはまだ
アップデートが提供されていない。


Sony Ericssonは、今後しばらくドコモに端末供給をしないようで、
いかに端末開発とそのサポート(不具合の対応)で体力を奪われている
かがよくわかる。



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ドコモは以前は、機種の発表会を行っても、実際には今回のように
集中的に端末を販売開始とすることは少なく、メーカーもしくは機種
によって時期に数ヶ月のずれが生じることはよくあった。


しかし、MNPや、iPhoneの登場に代表される斬新な端末の登場により、
契約者数などシェアを測る数値において、他のキャリアに徐々に迫られる
状況にあり、また、何より将来に向けた新たな製品・商品戦略の面でも
見通しの暗い状況にあったと思う。


そこで、できるだけ早く市場へ端末を供給して、目新しいイメージの
あるうちに購入を促そうという意思があったと見なせる。
それによってあせりとか、拙速があったのだろう。


先日、2009年夏期の新機種発表の場において、NTTドコモは、google
の開発したオープンソースのOS、androidを搭載したスマートフォンを
発表した。


供給メーカーは台湾のHTC。


これを受け、NTTドコモの社長は「国内メーカーにもAndroid携帯
を作ってほしい」と話していた。


これは、裏を返せば、国内メーカーにそうした開発余力がないという
ことを意味する。


エレクトロニクス・メーカーの構造不況は今に始まった話ではない。
90年代から何度も言われてきたこと。




こういうときに、私がいつも考えるのは、そもそも「誰が」悪いの?

ということ。


この手の問題のとき、マネージメント層から当然のように
出てくる会話として、
「誰が」「何が」悪かったの?
ということ。


当然、これに対する何らかの結論付けができなければ、マネージメント
が動くことができないので、世の中のありとあらゆる職場・家庭
など、何かしらの共同体では、こうした議論がされる。


その上で、問題対処の第一歩としては、「誰が」ではなく、
「何が」悪かったのかということが問われる。

そこには、「誰が」をいたずらに追い求めても何も解決

しないという考えが根底にある。




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他方、例えば、夫婦喧嘩では、「何が」がいたずらに問われ続ける
過程はある段階で終わり、後はひたすら終結する直前まで「誰が」
の論争になる。


そして、解決する場合は、「何が」ではなく、「誰が」悪かった
かを超越して解決する。


もちろん、大半の夫婦喧嘩は、解決しない。
先延ばし(場合によってはどちらか死ぬまで。)する。


でも、円満解決するときは、「誰が」を超越して解決する。

どちらも相手が悪いと思っていて解決する。「何が」ではなく、

「誰が」は超越して解決する。



結婚・離婚経験がない私がえらそうに言えることではありませんが。


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ドコモもNEC・パナソニックも歩み寄らないと解決しませんよ。

経営は夫婦以上に難しい問題です。


どちらも難しいですが、

離婚するカップルは、3組に1組ですが、会社はほとんどが潰れます。


離婚で巻き込むのは親族だけですが、会社は多数のステークホルダー

の生活を翻弄します。


まあ、どこもかしこも、大きすぎて身動きとれず、一度構築した

ビジネスモデルはパイオニアのテレビ事業のように破綻をきたす

直前まで見直すことはできないのでしょう。

(パイオニアは見直したのではなく、イグジットせざるを得なかった

 のですが。)


泥沼を脱するのに必要なのは、知恵、そして大胆な経営者の決断力です。