私は昔からどちらかというと、いわゆる左寄りな考え方の持ち主だと思う。

兵器を持つか持たないかとか、社会保障に対する考え方とかも、おおよそ左寄りな考えをしてきたと思う。

極端にそちらによっているとか、何か特定の団体を支持しているとかそういうことはなくて、一市民としてそういう考え方をしてきたということです。

ただ、考えだすと自分の考えを持てていないことも多い。

自分が判断するには情報が少なすぎるという面もある。

アフガニスタンへの攻撃には大儀があって、イラクのそれにはないと決めるには情報が少ない。
マスメディアが伝える情報が一面的な切り口でしかないのは言うに及ばず、さまざまな背景を抜きに結論を出すことにはひどく躊躇してしまう。

ただ、私の中で、決してなびかないのは、体制追随や、体制護持だけをかかげた主張だ。

それは、何かの主張に身をまとっていたりして見えにくいものだったりするし、この世の中にある、ありとあらゆる主張が誰かしらの立場を養護するものだったりする。

あからさまな主張は論外なのだが、これも目にすることが多くて困ってしまうことしきりで、例えば、ある特定の人物によって社説の論調が恣意的に方向づけられているような新聞を盲目的に支持するような人や言動なんかも至る所で見かけ、体制護持派の厚かましさにうんざりする。

体制のすばらしさをひたすらに吹聴するエネルギーをどうして、別のベクトルに変えられないのか、そこには圧倒的に思考の短絡さ、ただ乗りの快楽があると思う。

そうした露骨な例でなくても、さまざまなベールの中にある隠れた主張のワナを見通して、適切なジャッジをしていくことは実は難しいことだと思う。