高校の頃、全くと言っていいほど、歴史に興味がなかった。


もともと理系だったので、数学や物理に割く時間が多かったし、

世界史の授業も内職ばかりしていた。

歴史を取り上げたドラマなんかにもほとんど興味が湧いた

ことがなかったです。
坂本龍馬だとか、豊臣秀吉とかそういうのも興味がなかった。


私はそれよりも人が大量に殺戮されたことに興味があった。
アウシュビッツや南京大虐殺、ポルポト、ザイール・・・


これらは歴史の中の一つの出来事にすぎない。


しかしすべて人間が行ったことだ。


その人間がたった一人の人間だとしたら、そのときは異様な

殺人者として彼を捉える事で終わってしまう。


でも、それを成し遂げたのは、おそらく我々と同じ人間

”たち”なんだと思う。


同じ人間が、あるときは幸せに生き、功なり名をあげ、

ある時は大量殺戮の一端を担う。


この異様なさまが世界のいろいろな場所・時代で繰り返さ

れていることへの疑問を私は常に感じてきた。


歴史がこのことへの解答を与えてくれればと思うが、

世の中の歴史好きは、どちらかというと登場人物を高らかに

称えることに邁進していて、私のように思うのは、

いないのかもしれない。


昨日、KYとかのことを書いて、

コミュニケーションの閉塞感とか、いろんなことを考えた

けれども、そんなことも思った。