このブログで、被災者の自殺問題を取り上げたのは数カ月前であったと思う。その時、Q翁は、これからが被災者自殺問題が深刻になるだろうと予測したようなことを述べた。


 それは阪神淡路大震災でも 中越地震でも、避難所から仮設住宅に入ってから自殺者が増え、さらに仮設住宅を出て、公営住宅などに転居した時に再び自殺者が増加している例からそう思えたのである。


 昨夜21:00からのNHKドキュメンタリー番組は、現在の東北地方仮設住宅で起きている自殺問題をとりあげた。すでに40人近い自殺者を出している。


 自殺に至った色々なケースが取り上げられたが、一様に「何故あの人が」「昨日まで自宅の復興に息子さんと相談して取り組んでいたのに」という周辺の人の話が紹介されていた。


 大津波によってそれぞれの人が「かけがえのないもの」と思っていたものの一切が流されてしまったことが人の心に大きな傷を残したと番組は説明していた。


「かけがえのないもの」とは人によって千差万別である。従ってこれらの人に対応するにも一様にはいかないと全市民からアンケートをとった被災地の担当者は言っていた。


 例えば、かつての我が家の窓から眺めていた故郷の風景が、全く姿を変えてしまったことが、心の傷になっているという老人もいた。この人にとっては故郷の風景が「かけがえのないもの」であったのである。


 阪神淡路や中越次地震と根本的に違うところは、大津波によって一切が呑みこまれてしまったということである。いまだに行方不明者は数千人を越すという現実はかつての災害には全くないことである。両親を失くし、その遺体もあがらないとなると、人は中々心のけじめがつかないという。


 新聞の訃報欄に両親の名前が載り、告別式をやって初めて、いくらか娘さんの心のけじめがついたということが放映された。


 Q翁のように告別式など一切無用と思っている考えは、独善的なものであることに気づかされた。やはり後に残る人のためにはケジメが必要なのであろう。


 自宅だけではなく先祖伝来の墓地もすべて流されてしまった人もいる。それが「かけがえのないもの」を失くしたことになっている老婆が放映された。


 これも日頃から墓無用論を持っているQ翁には考えさせられた。世の中には先祖の墓が「かけがえのないもの」と思っている人も大勢いる現実を知らされた。


 そして何よりの心の傷は、仕事を全て失ってしまったことだという。海の仕事は家族一体の仕事である。家族全員が、朝早くから起きだし、夜遅くまで時間を惜しんで働いていた人が、仮設住宅に入り、朝から晩まで時間をもてあましている。これは生きていることであろうかと自問自答していた。

生きてる感じがしないというのである。


 さらにその海の仕事は、船も漁具も、岸壁も市場も、冷凍施設も加工場も運送業もすべて津波によって破壊され、元に戻れるようには思えない現実が目の前にある。。


 それは再びこのような津波被害を想定すれば、なにもかにも元に戻すことが良いのかという疑問に常に直面し、復興の意欲は、すべて行き詰まってしまう。


 3月11日の直後に、Q翁はこのブログで、その点を指摘した。従来の大震災では経験したことのない問題は、自宅も街も工場も元に戻すことができないということである。1000年に一度とはいえ、再び大津波に襲われることは誰も否定できないのである。


 こういうことを考えると、今避難所から仮設住宅に移った被災者の心境は計り知れない今までの災害被災者とは全く異なった悩みがあるに違いない。


 仮設住宅はあくまでも仮設住宅で、2年後には、出なければならない。それまでにメドがたつのか。今は誰もも2年後を保証し得ないであろう。


 さらに、海に生きてきた人に、新しい仕事についてもらうにしても、容易ではない。特に中年を過ぎた人達にとっては、転職は極めて困難である。


 昨日の放送でも50歳代の男性が、絶望的な発言をしていた。Q翁もこのような人にかける言葉がないが、ただ言えることは、人間には未来のことは分からないということを知って貰いたいと思う。


 即ち、人の命は、言うまでも無く、明日のことは分からない。3月11日に突然大地震が来て、その直後に大津波がくるなど、誰も予測できなかったことである。そこで2万人近い人が命を終わるなどということも人間の知恵の及ぶところではなかったのである。それは今後とも変わることはない。

誰が「もう大津波は来ない」と言えるであろうか。


 しかし、大津波がなくても、人間の置かれている状況は同じなのである。人間が明日も生きるだろうと思っているのは、確率からいって概ね生きているだろうと思っているにすぎない。


 特に老人などは、明日倒れるかもしれないのである。九州場所では、相撲の鳴門親方(元横綱隆の里)が場所前に急逝した。誰もがまさかと思う事態が起きるのが人生なのである。


 そこで人間が生きていく上に、何より必要なのことが忍耐ということになる。明日を思い煩うことなく、今日一日を懸命に生きる。今やれることをやって生きる。それが忍耐なのである。


絶望の淵にいる50歳の男性も、忍耐を忘れないで欲しいと思う。


 敗戦後の絶望の世から、日本人は復興してきたのである。その時日本全国絶望の渦の中にあった。もう一生この絶望からは脱却できないのではないかとさえ思っていたのである。


 しかし、いつしか日本社会に光がさしはじめ、日本は復興への歩みを始めたのである


 東北の被災地が現在置かれている状況が厳しいことは、Q翁にも十分推察できる。しかし、Q翁の人生経験からも、いつか必ず新しい光も見えてくるものである。


 今は、ひたすら耐え忍んで貰いたいと願わずにはいられない。

 

 発災後、5か月以降が、最も自殺者数が増える時期だという。生憎東北は厳しい冬に入る。


 Q翁もかつて青森八戸の冬を過ごしたことがあったが、東北の冬景色は、何とも言えない、侘しさ、寂しさを掻き立てられるものである。関東以西に住んでいるものには分からない雰囲気がある。


どうか被災地の皆さん、来春の到来を待って、耐え忍んで貰いたいと切に祈る。