先日NHKテレビで、青森リンゴが昨年の雹の害で疵付きリンゴとなり、価格が五分の一以下に下がり、リンゴ農家は、苦境に立たされているということが放映された。


このテレビ放送を見て、色々なことを考えさせられた。


Q翁を含む一般消費者は、果物などを買うとき、見た目で、その大きさ、色合い、艶、品種などを基準にして購入する。


したがって 雹害にあって、表面に1箇所でも疵があると それを避けることになる。味や栄養素に全く差がなくても、消費者は手を出さない。


そこで、リンゴ市場では、雹害で疵物になったリンゴにが値がつかない。通常一箱3500円もするリンゴが600円~700円という安値になってしまう。


これではリンゴ農家は全く採算がとれない。肥料代も農薬代も農機具代の償却も、自分達の一年間の労賃も全くでないことになってしまう。まさしく隠れたワーキングプアになってしまう。


これではリンゴ農家を継続することもできないとリンゴ農家を止めてしまう人も出ているという。


今 日本の農業は重大な岐路に立たされている。世界的には食糧事情は決して楽観できない状態である。今年は中国の干ばつの影響も出るであろうし、再び世界的食糧危機が叫ばれることになるかも知れない。


そして米作については、政府も与党も、いまだに迷い、相変わらず生産調整政策を続けようとしている。目先の、米価が暴落することを恐れているのである。国会の論戦を聞いていても、政府も野党もしかとした日本農業の将来像が見えてこない。いきあたりばったりの政治であるが、これでは農業は成り立たない。自然相手の農業には永い年月の時間が必要なのである。


広大な水田が、生産調整の目的で荒田になっている。また農家の高齢化は一層厳しくなり、耕作放棄の水田 果樹園も増える一方だという。


水田は一度荒廃させてしまうと、直ぐには元に戻らない。これは自然の原則である。


リンゴの木も、一年手入れをさぼってしまえば、元に戻れなくなるのは当然であろう。


今 青森のリンゴはその品質の良さから、中国や台湾やシンガポールなどでも珍重されているという.。将来の、日本の農業を支える期待の農産物である。


青森リンゴは毎年雹害だけでなく台風などでも大きな被害を受けることになる。自然相手の農業の厳しさは、やった者でなければ分からない。


しかし、だからと言って、今まで、手塩にかけてきたリンゴの木を放置してしまって良いのであろうか。


それには、無傷のものと同価格というわけにはいかないかも知れないが、五分の一とか六分の一などという低価格でなく、消費者は理解を持って購入する協力が必要であろうと思う。


味や品質に差がないことを もっと宣伝して、販売に協力しなければならないと思う。


日本の食糧自給率は40%弱で、世界先進国の中では最低である。景気が悪くなり、GDPが年率12%も下がると騒いでいるが、各国に比較して農業生産の少ない国は、直接の不景気の影響をうけるのは当然である。そういう産業構造に問題があることも政治家は認識すべきである。単に自給率向上などとお題目を唱えていてもどうにもならない。


景気が悪くなっても、人間は食を止めるわけにはいなない。できるだけ国産の果物や野菜を食べ、生産物を無駄にしない心がけが大切なのではないでしょうか。雹害リンゴなど、国民運動で価格維持に努めるべきであろう。


見た目が悪い曲がったキュウリでもナスでもその他の野菜でも、味も栄養も同じなのである。あるいは無理して形を整えたものより自然で良いかもしれない。農家は見た目をよくするためにとんでもない苦労をして手間をかけているのである。


最近、なんでも見た目で良し悪しを言う風潮に、Q翁はいささか怒っている。

テレビタレントなども、やたらに「ぶす」とか「きもい」とか人相を問題にし、笑いの種にしている。多くの諸外国ではこういうことは許されないのではないか。

もって生まれた風貌など、いくら努力してもどうにもならないものである。そういうことを取り上げ、他人を侮辱することは罪である。多くの人種が混在するアメリカなどでは、決してそういうことは許されないことなのではないか。


少し顔かたちが整っていれば、イケメンとか言って、それだけで、内容のない馬鹿さ まで売り物にしている。


若者もそのような風潮に流されている。自分が美人でないことを嘆き、自殺する女性までいるという。


そういう人達にQ翁は 「人生何を勘違いしているのだ」と、叱りたい気持ちになる。


人間は心が一番大切ではないか。自分の中にどれだけ優しい気持ち(愛)があるかが問題なのではないか。その気持ちがあれば、誰でも喜びに満ちて生きることができるのだ。


雹害リンゴから、話が飛躍したが、何事も中味が大切なのである。ということを言いたっかたQ翁のつぶやきである。