前回、加古川判決の問題点を記事にしましたが、

この判決が一つの悪循環を形成したと私は考えています。



去年からマスコミがやんやの騒ぎで病院を責めててきた、いわゆる「たらい回し」問題の一件で解るように、

現在の救急医療の事情は悪化の一途にあります。


急病で救急車を呼んだとしても、搬送される病院がなかなか見つからない、

救急隊から十数件の病院へ連絡を入れても、受け入れが不可能であるとの返事があって、

その間に患者の病態が悪化し、助からなかった、というケースが多数報告されました。


マスコミはこぞって

医者は人命を救う義務を忘れた。

などとここぞとばかりに医療をバッシングし、

精一杯やっている現場の人間のモチベーションを下げ、救急医療からの「逃散」を促進し、

余計に悪化を煽ってしまったという愚行も犯しています。


で、現在どうなっているのか?


前回の記事でも書いているように、

医師も日常のちょっとした不注意で逮捕や起訴などされたくは無いですから、

そういったリスクの高いと思しき症例は敬遠するしかないと、


「専門外は受け入れ不可」


という事がデフォとなっているようです。



「専門外だって、断ってもいいじゃないの。

だって、加古川判決だもの。」



そうなると、救急隊は大変です。

救急搬送しようにも、受け入れてくれる病院がなかなか見つからない!


救急隊 「60歳男性、胸痛で苦しんでます。搬送医願いします!」

病院  「申し訳ありませんが、心臓カテーテルのできる医師が不在ですので。」


救急隊 「70歳女性、頭部を打って意識不明でなんとか呼吸している状態です。直ちに搬送・・・」

病院  「あ~~~、脳外科医が不在ですので対応できかねます・・・。」


・・・これが、JBMの怖さです。


もちろん、これは病院側の事情に限りません。

患者側のニーズも極限まで高まっているわけですから、

重症も当然で、軽症でも専門医への受診を依頼するケースが殆どです。


救急隊 「5歳男児、家の階段で転倒して額に傷があり出血しています。意識清明です。」

病院  「わかりました。但し、現在救急担当医の専門は整形外科になりますが、よろしければどうぞ。

救急隊 「・・・・・。 

      家族は脳外科医の診察を希望されていますので、他を探します。

とか、


救急隊  「40歳男性、スポーツ中に転倒し足首を痛めたとの事です。」

病院   「どうぞ。現在は一般外科医が救急担当です。

救急隊  「・・・・・。専門医を(ry



こんなやり取りが日々繰り返されているわけです。


如何に救急搬送事情が悪くなっている事か想像できます。



そんな中、時々出くわすのが、先日もあったこんなケース。


救急隊  

「70歳男性が、転倒し顔に挫創あり。意識清明です。

怪我の手当てだけで構いませんのでお願いします。」




という依頼で、受け入れてみると、どうも様子がおかしい。


呼びかけても、うなされるばかり応えないし、目の焦点も合っていない。



はっきりと意識に異常があるわけです。



こうなると、大変です。

顔の傷を縫合なりすれば終わりだと思っていたところが、意識障害の検索をしなくてはなりません。

当然、本人から症状や事情は全く聞けませんから、他覚的所見から判断せざるを得ません。


転倒している訳ですから、転倒して意識障害を生じるような頭部外傷を生じたのか、

何か意識障害を生じる原因となる基礎疾患があって、転倒したのか、


顔の怪我は、バンソウコウ貼ってあっと言う間におしまい。

それよりも、これから意識障害に対するすべての検索を行ってゆかねばならなくなりました。



救急隊に聞くと、

「患者が診察券を持っていたので最初は通院中の内科に依頼したんですが、

顔に怪我があるなら対応できないから外科の救急に依頼するように言われたもので・・・。」


なるほど・・・。


意識障害で内科に相談したら、外傷を理由に内科医に断られたと言う訳です。


そして、今度は外科へ依頼するのに何か内科的病態を知らせれば断られると考えて、

意識障害に関しては明確に伝えずに搬送してきているという事です。



こうした風に、昨今のトンデモ裁判や判決に則って救急医療を自粛する動きが現場の医師で根付いてしまい、

救急隊も搬送先を見つける事が、おいそれとはできない状態となった為に、

救急隊もどうにかして病院へ運び込もうと必死だという事です。


救急隊の気持ちも、わかります。

彼らの任務は搬送であり、できるだけ早く、多くの患者を搬送する事を目標とするならば、

多少押し付け気味になってもとにかく病院へ搬送さえすれば良い、そして、



「じゃあ、後は病院でお願いします。

こちらは別の新たな病人の搬送に向かいますので。じゃ!」




っと、颯爽と去ってゆく事、一理あるかもしれません。



しかし、押し付けられた医者の立場は?

専門外の事まできちんと把握しないといけませんから、

ちょっと焦ります。


結局意識障害の検索として、採血、レントゲン、CT、心電図など一通り行って見つけなければなりません。

・・・そこで、加古川判決が頭をよぎるわけです。


もし心筋梗塞や脳血管障害という専門外の緊急性病気だったとしたら、

搬送先病院が見つかるまでに亡くなったとすれば、私は有罪です。


・・・いや、そんな筈は無い。

救急隊の連絡と食い違っていたのが悪いんだから・・・・・。


そんな事で責任取らされるなんて馬鹿な事があるはずが・・・。



「ひと1人が死んだのだから、医者が責任をとらないなんて許せない!

無罪な訳がない!

医者がもっと最適な治療を施していれば、助かった可能性が否定できない!」


・・・そんな乱暴な意見が頭をよぎります。



そして、

意識朦朧でうなされ一切協力もしてくれない患者に、点滴を挿して採血を行い、

検査室へ連れて行ったりと大忙しになってしまった看護士さんのうらめしそうな顔をみやりつつ、

最善の医療を尽くす努力をする訳です。


・・・結局このケースでは、脳に異常なし、循環器異常なし、

で、血糖値が異常に低く低血糖発作を起こしていた事が解り、ブドウ糖点滴によって意識を回復されました。


しかしよくよく考えてみると、


低血糖発作という内科主題の病気で意識障害を生じて転倒した患者が、

内科で断られて来た外科の救急外来で糖尿病が判明した訳です。


こういった事は実は現場ではいくらでもある事です。

ですから、


最初から専門医で的確な診断がつけば助かった可能性があった


とか、


受け入れは専門医に限る


なんてお題目を並べたとしても、


実はどういう専門家で見るのが適切だったかなんてことは結果論でしかないと言える訳で、

加古川判決のようなトンデモ判決が如何に救急医療の現場をかき回して崩壊させたかという事が、

この話だけでもお分かりいただける事かと思います。



<医者の常識、世間の非常識>


加古川判決によって、救急医療の現場では、



→救急受け入れに慎重になる病院が増える

→救急隊は搬送先が見つからず立ち往生

→受け入れてもらえば、病院でナントカしてくれる

→話と違う病態の患者が来て、困る医師

→更に急患受け入れに慎重になる病院、医師



という悪循環を生じてしまっています。