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2018-02-12 16:12:55

廃線跡懐旧記 Vol.10~新潟県/塚山第二トンネル

テーマ:廃線跡懐旧記
今回の「廃線跡懐旧記」は、2010年に訪問した信越本線、「塚山-長鳥」間にある旧線跡より、
「塚山第二トンネル」をお送りします。このトンネル、いわくつきのトンネルであり(本編参照)、
結果的には「攻略できなかった物件」として印象深いものとなりました。ではご覧くださいませ。

 
「塚山第二トンネル」東口抗口。真っ直ぐなので対面の明かりが見えるが、その明かりは1,155m先のものである。

 
ポータルは「製作者の趣味で好きな模様に造ることができる」と聞いたことがあるが、ここも立派な造りであった。

 
中へ入る。あってないような柵があるが、気になったのは水の量。雪解け水が常時流れ込んでいるのである。

 
数歩進むと急に足場が悪くなった。緩すぎる足元に体重を支えきれない。決して自分が重いわけではない・・・と思う。

 
それでも諦めきれずにもう少し進む。水の流れを見て進むほどに悪条件となることを確信した。

 
奥の方で対面の明かりが地面に反射しているのが見える(水没の意)ので、残念だがこれにて撤退とする。

 
ということで西口抗口へやって来たが、やはり想像通り、ここへ来るまでも雪解け水によって条件は悪かった。

 
抗口へ到着も、何かがおかしい。自分の知っている大きさではなく、すぐに汚泥で埋もれているためだと察した。

 
対面の明かりが私を呼ぶ。進めるのか?問題は汚泥の「硬さ」である。棒で突いて確認、行けると踏んで強行突破する。

 
・・・逝けた。雪解け水の冷たさは想像がつくであろう。プラス、敗北感の温度も加味されることを筆者はお願いしたい。

以上、「塚山第二トンネル」を振り返りました。本編は
こちら となります。2010年のレポートでした。
リクエストもお待ちしておりますので、ご希望がございましたら、メールでもコメ欄でも
結構ですのでお寄せください。なお、橋梁・隧道には限定しておりませんので、
もう一度他の写真も含めて詳しく掲載してほしい!でも結構ですのでお待ちしてます。
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2018-01-27 18:48:42

廃線跡懐旧記 Vol.9~岐阜県/木曽川橋梁

テーマ:廃線跡懐旧記
今回の「廃線跡懐旧記」は、2010年に訪問した「北恵那鉄道」より「木曽川橋梁」をお送りします。
冠水こそしたものの度重なる木曽川の氾濫にも堪え、1924年の完成以来一度も流されることなく
現在においてもその勇姿を当時のまま見ることができる貴重な橋梁を振り返ってまいります。

今年で廃止から40年が経過する「木曽川橋梁」。竣工からでは実に94年が経過していることになる。

まずは南側から撮影する。工場より撮影許可はいただいたが、藪と視線(笑)によりこれ以上の接近はできなかった。

南側、やや右側へでて少しでも撮影しやすい場所を求める。全長134mの橋梁がほぼ全部フィルムに収まった。

今度は北側へ移動する。こちら側は許可の必要はないが、南側同様に注意は必要。かなり橋に近付けそうだ。

足元を見れば、未だ埋まったままの枕木が静かに時を刻んでいた。しかしこちらが心配するほどの簡易的な柵である。

更に接近する。手前にかけてやや右に曲がっていることに気がついた。次のカーブにむてけてのものだろうか。

よく見れば、枕木の跡もガーター上に残っている。廃止から40年以上経過しているのに残っているものだろうか。

アップにすると何やら別のものに見えてきた。大変渡りたい衝動に駆られるが、もちろんここは自重する。

ではそろそろ御暇(おいとま)させていただくことにする。同じ場所から振り返るとこのような景色が待ち受ける。

以上、「木曽川橋梁」を振り返りました。本編は こちら になります。2010年のレポートでした。
リクエストもお待ちしておりますので、ご希望がございましたら、メールでもコメ欄でも
結構ですのでお寄せください。なお、橋梁・隧道には限定しておりませんので、
もう一度他の写真も含めて詳しく掲載してほしい!でも結構ですのでお待ちしてます。
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2018-01-13 10:37:54

廃線跡懐旧記 Vol.8~山梨県/旧瀬沢トンネル

テーマ:廃線跡懐旧記
明けましておめでとうございます。
本年も当ブログをよろしくお願いし申し上げます。m(_ _)m

今回の「廃線跡懐旧記」は、前回同様、中央本線の「立場川橋梁」をお送りします。
まさに 前回 の続きのようなもので、元々本来はこちらを見るのがメインでした。
今回はその立場川橋梁の「夏の顔」と「冬の顔」を見比べてみました。ではご覧くださいませ。

夏の「立場川橋梁」。遠くからでも「逆トラス」をした廃橋梁が今でも大きな存在感を示している。

橋の真下より撮影。どっしりとした立体感のある重厚な趣きに感嘆する。個人的に好きな一枚。

廃線跡上へ登る。場所によっては意外に高く感じ、その感じ方は橋へ近付くほど増大する。

夏の「立場川橋梁」高架上。残された架線柱が、現役時のようすを連想へ導く。

右手には現在の「立場川橋梁」がすぐそこに見える。列車が通れば当然こちら側も良く見えるはず。

季節は代わり冬の「立場川橋梁」。木々の葉は落ち地面が露わとなり、山がひと回り小さくなったように見える。

冬の「立場川橋梁」。上と同じように見えるがもちろん同じではない。今度は奥が松本側となる。

上記同じ場所より振り返るとこちらも趣のある絵がそこに。人間に負けじとシカやサルの足跡も踊っている。

以上、「立場川橋梁」を振り返りました。本編は
こちら になります。2008年のレポートでした。
リクエストもお待ちしておりますので、ご希望がございましたら、メールでもコメ欄でも
結構ですのでお寄せください。なお、橋梁・隧道には限定しておりませんので、
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2017-12-30 23:13:46

廃線跡懐旧記 Vol.6~長野県/瀬沢トンネル

テーマ:廃線跡懐旧記
今回の「廃線跡懐旧記」は、2008年10月に訪問した中央本線の「瀬沢トンネル」です。
近くにある名所「旧 立場川橋梁」をメインに訪問したのですが、思いのほかソソられた物件でした。

冬の「瀬沢トンネル」西側抗口 この日の積雪は5cmほど、ノーマルタイヤではギリギリだった

夏の「瀬沢トンネル」西側抗口 冬との違いは一目瞭然、路盤跡は見ることができないし歩くこともできない

こちらは東口抗口 手前には新たに造られた水路のためか土が入れられ、坑内よりも一段高くなっていた

更にその手前にはグニャリと大きく折れ曲がった架線柱が どうしたらこのようなことになるのか

東側よりトンネル内部へ入る 画像では分からないがほんの僅かに反対側抗口からの明かりが漏れている

少々入ったところで振り返る 奥の水路が物語るように今は水路として利用されているようだ

長さは325m  内部は意外に足場が悪く、途中から右カーブをしているため対面の出口は見えない

出口(西側)へ近づくほど水量が増していった ニオイや透明度から汚水という訳ではなさそうだ

西口抗口へ到着 夏場だったのでこれより先へ進むのはご覧の通り不可能 その代わり良い絵が撮れた

まだまだ立派なポータルが現存していた よく見れば小さな木製の銘板もあるが読み取ることはできない

以上、「瀬沢トンネル」を振り返りました。本編は こちら になります。2008年のレポートでした。
リクエストもお待ちしておりますので、ご希望がございましたら、メールでもコメ欄でも
結構ですのでお寄せください。なお、橋梁・隧道には限定しておりませんので、
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ではみなさま、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ♪
そして来年も当ブログをよろしくお願い申し上げます。m(_ _)m
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2017-12-16 21:22:23

廃線跡懐旧記 Vol.5~群馬県/旧 湯檜曽駅

テーマ:廃線跡懐旧記
今回の「廃線跡懐旧記」は、2011年6月に訪問した上越線の「旧 湯檜曽駅」です。日本には数箇所しか
無いとされている「ループ線」の近くにかつて存在した駅で現在でもその姿は健在、拝むことができました。

 
現場へ到着してみれば目的地は想定よりかなり上、地図上では知ることができなかった

 
内部へ入れば、当然高さを稼ぐため長い登り階段が延々と回廊のごとく続く

 
まだ1/3付近だろうか この頃から天空では湿度が飽和状態となったのか、粒の大きそうな雫の音が

 
ほぼ中間地点では横移動で呼吸を整えられる 作為的に造られたとか? 依然、屋根を叩く雨の音が空間に響く

 
息が僅かに整う頃、この付近からコンクリートとなる そして漆黒の闇が待ち受け、明かり無しでは厳しい道のりに

 
踊り場で方向転換をするとようやく僅かな明かりが差し込む その光の元を探れば視線の先にはこのような景色が

 
いよいよ地上へ 簡素な扉を一枚開けば、さっそく今も原型を留める旧湯檜曽駅跡が眼前に広がる

 
新潟方面 奥には「新清水トンネル(13.5Km)」が口を開けている トンネルを抜ければ一気に新潟県へ

 
こちらは高崎方面 架線柱がかつての路盤跡とおぼしき位置まで掛かっている 名残りと考えて良いのだろうか

 
草木が覆い地面こそ見えないが、路盤跡というのは「好きな方」であれば説明せずとも容易に分かる

以上、上越線の「旧 湯檜曽駅」を振り返りました。本編は こちら となります。2011年のレポートでした。
リクエストもお待ちしておりますので、ご希望がございましたら、メールでもコメ欄でも
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