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こうちゃん

ラッパーやDJの中には、会った事がある人達が何人かいると思う。
コウ君という北海道に住む日本語ラップ大好きで大ファンの男の子がいた(8年前くらいに会った時彼は23歳)。
小2の時の髄膜炎が原因で車椅子の生活になっている。
俺が札幌にDJしに行くとネット上で告知した時、mixiで彼がメールを送って来た。
「身体が不自由で車椅子生活の為現場に行けないのですが、大ファンでどうしても会いたいです。
 ホテルのロビーまで行きます、会ってもらえませんでしょうか」
mixiだとたまにブッキングのメールを面識のない人からもらったりするけれども
ファンの人から「会いたい」なんて言われるメールは初めてだったので「なんだなんだ」という感じだった。
とりあえず、mixiのプロフィールを見てみると身体の不自由な事と日本語ラップの大ファンで特にギドラと般若が好き。
日記を見ると買ったCDやDVDの事、あまり行けないライブに行けた時の事を興奮しながら書いている。
彼の人生にとって日本語ラップという音楽がどれだけ大切で重要な物なのかがすぐわかる。
身体が不自由な生活、彼にとってその過酷な人生を生きて行く為に必要な大きな力
それをを与えてくれるものの1つが俺達の音楽「日本語ラップ」だった。
そんな事が彼のプロフィールを見てすぐわかったので「会ってみよう」と思った。
それに車椅子でわざわざホテルのロビーまで来てくれると言ってくれるんだから「会えない」なんてなおさら言うわけにいかない。
ちなみに、これは特別なケースなので「ホテルのロビーまで行く」なんてメールを俺も私もと送ってこない様に。

札幌での仕事を終えてホテルに帰り寝ようとしたのが朝7時。
こうちゃん(この頃には俺もこうちゃんと気軽に呼んでいた)とのロビー集合は10時。
これは、きつい。
でも、その集合にはギドラ入りするわけにもいかないので無理矢理眠い目をこすりロビーへ。
ロビーには、まだ俺1人だけ。
ソファーに座った時ホテルの前に車椅子用のワンボックスが止まってドアが開くと
中からお母さんらしき人に車椅子を押されて眼鏡をかけ白のハンチングを被った男の子が降りて来た。
迎えに出るとこうちゃんは、車椅子に座り照れくさそうにしながら俺におじぎをしてた。
彼の体調や、食べてはいけない物とかあるの?なんて質問を俺がしたり
日本語ラップの事、俺やギドラがこれからどんな動きをしていくのか聞かれたり
他にも色々お母さんを交えて3人で話をした。
1時間くらいロビーで話をし、色紙にサインしたり俺が持って来たおみやげをわたしたり
そんな時間を一緒に過ごし彼は帰って行った。
後から知った事なんだけれども、2人がホテルに着いて俺が迎えに出た時その足で水を買いに行った。
当たり前の様に3本手に持って戻って来たんだけれども、それにビックリしたみたい。
俺はどんなイメージなのか?とも思うけれども、その時のペットボトルは洗って大切にとっておいてるとの事だった。
俺にとったらただのペットボトルだけれども、彼にとったらそれが宝物になっている。
不思議だなと思いつつ、ただただ感謝。
その後もメールのやりとりや、時々電話で話をしたり
俺がぽろっと大好きだと言ってしまったので、毎年イクラを送って来てくれる。
俺もマイク持つDJのアナログにサインをして送ってあげたり、こうちゃんの友達にサインを書いて送ったり、そんな仲になってた。

自然にそうなってしまったんだけれども、ある時からmixiに全然入らなくなってしまった。
こうちゃんもTwitterを持っていてたまに@で話しかけてくれてたし。
ま、mixiアプリに飽きたというのが大きい原因。
そして数ヶ月が経ったある時「今年はイクラが送られて来てない」と図々しい事に気付いた。
「元気にしてるかな」と思いつつもそのまま時間が過ぎmixiに入らなくなってから1年くらいの時間が流れた。
FunkPRadioの告知をTwitterやFaceBookでしている時「ひさびさmixiでも」と思いログインしてみたのが今年の3月。
友達申請やメールのお知らせがたまりにたまっている。
申し訳ないなと思いつつメールの受信箱に行ってみると2月にこうちゃんからメールが届いていた。
メールに書いてあったのは、連絡をとっていない間に体調を崩し入院生活になっていたけれどもなかなか改善しない
なのでおもいきって病院を変え、そして身体の切開手術をしたけれども同時に声を失ってしまった
声を失う事はわかっていたけれども生きる為に手術を選択しました、そう書いてあった。
1ヶ月も返事が遅くなってしまった事を謝り、新しいギドラのミーティングが始まった事、新しい音を作りまくってる事
楽しみにして待っていて、CD出来たら送るね、そんな事を書いて返信した。
その俺が返信したメールが彼と俺との最後のやりとりになってしまった。

数日前、FaceBookにある人が1枚の写真をアップしているから見てと言われたので見てみた。
病室のベッドの周りにさまざまな機械を置き、身体にはいくつもの管が繋がっている
そしてそこに寝ているメガネをかけた男性がカメラに向って笑顔を見せ手をふっている。
写真の説明文に「7月5日、こうくん -中略- 本当にいままでありがとう、ご冥福をお祈り致します」そう書かれていた。
最後に俺が送ったメールを読んでくれているはずと思うのだが、読んでくれてたらいいなと思う。
彼が送った30年の人生の中で「日本語ラップ」というものがどれだけ生きる力を与えたものなのか。
おそらくそれは、相当な力を与えて来たのは確実だ。
今までの人生で俺が経験した「人生の選択」、彼はそれよりはるかに大きく重要な選択を何度も自分で決め生きて来た。
最後に俺に送ってくれたメールもそう、彼は今まで自分自身がしてきた選択にゆるがない自信を持っていた。
もしかしたら俺にも無いくらいの強い自信を自分自身に持っていて、その自信を胸に自分の人生を堂々と生きぬいた。

人それぞれにとってさまざまな物がある、「本当に好きな物」これを強く信じる事で「自分自身に対しての自信」も持てる。
「本当に好きな物」それが明確にある人とない人では、人生を生きるうえで色々な点で大きな違いがあるんだろう。
それを「こうちゃん」との少ないけれども一緒に過ごせた時間で教えてもらった。
こんなに夢中になれるものを見つけられた事は、こうちゃんにとって本当に幸せな事だった。
そして、夢中になってくれる物を作っている俺は、もっともっと幸せなのかもしれない。
自分達が作って来た音楽がやっぱり間違っていなかったんだ、という自信を今は俺がこうちゃんに与えてもらった。

俺のやりたい事は今後もブレないしブレさせない、「意味のある音楽」これをこれからも作り続ける。
そう思えたよ、こうちゃん。
また、いつかそっちでゆっくり話しよう。

ご冥福をお祈り致します。


追記

俺が書いた「こうちゃん」の事を多くの人がくるくるしてくれた。
本当に感謝します。
多くの人に読んでもらって「こうちゃん」の事を知ってもらえた事
それを手紙にしお花と共にお母様、そしてこうちゃんに知らせたいと思います。
こうちゃんビックリしつつ喜んでくれるかな。本当に皆さんありがとう。

追記

数日前に書いたものですが、入れなかったブログにログイン可能になったため載せました。