加藤容疑者が与えられなかったもの(あたりまえだけどサブカルってやっぱ必要なんだよ。) | 40代中年男がいきなり漫画を描き始めてはたしてデビューできるのか?

40代中年男がいきなり漫画を描き始めてはたしてデビューできるのか?

コネなし、才能なしの40代漫画家志望者の中年会社員です。
何かのブログで全くの素人でも1000枚漫画を描けば、プロデビューできると描いてありました。
はたして、これが可能なのか実証しようと思いこのブログを描き始めました。
あと自分のスケジュール管理も目的。

アキバの犯人をやっと名指しできるようになった・・・・。
加藤、そう・・・加藤容疑者だ。

今まで、彼の孤独の方にばかり目に行ってて極めて重要だが案外みんな指摘してない点を語ってみよう。

加藤容疑者のご両親は大変厳格で、子供を遊ばせないような躾をしたらしい。
虐待という話もあるがそれはそれは言い過ぎで、多分すごくまじめな人達なんだと思う。

父親が金融機関に勤めてたそうなので、御両親も多分苦学して仕事についたのではないだろうか。
加藤容疑者のご両親の時代ならそれは正しかったのである。

だが、不幸なことに加藤容疑者の育った時代は全く違ってたのである。

加藤容疑者のご両親が加藤容疑者に強制したもの。
躾、勉強、スポーツ、習い事等は、ぼくが前の前の章で言及した「リアルな虚構」である。
加藤容疑者が、高校に入学してすぐにこれらのものから撤退してしまったことは、彼が「リアルな
虚構」にいやいや従ってたことを示してる。

ただし、問題や彼が強制的にやらされてたもんではない。
問題は、彼が強制的にやらせてもらえなかったもんが何かである。

加藤容疑者は両親が認めた文化以外の接触を全く禁じられてたらしいのだ。
漫画、アニメはもちろんダメ。ゲームを週1時間だけ・・・。

この結果何がおこるのか・・・。

あまりにも簡単すぎるせいだろうか?

あまりにも単純すぎるせいだろうか?

あまりにも明白すぎるせいだろうか?

だから、識者もメディアもこのことをあまり指摘しなかったのだろうか。

この結果何がおこるのか・・・。

クラッシックとか文学なんかのハイカルチャーはある程度の教養がないと楽しめない。
つまり、受容するためには準備が必要である。

これは、サブカルも同じなのである。子供のころからみんな親しんでいるので、気付かない
だけである。子供のころ、サブカルを禁止されてて思春期になっていきなりサブカルに触れて
受容できるだろうか。

前にぼくは虚構には「リアルな虚構」と「虚構の虚構(たとえばサブカル)」があると指摘した。
で、加藤容疑者自身は「リアルな虚構」を自分自身でドロップアウトしてしまった。

重要な指摘として現在の平均的若者は、「リアルな虚構」と「虚構の虚構」の両方の世界で
生きてるってことである。つまり平均的若者はサブカルの方でも教養と経験を重ねてるのである。

加藤容疑者は虚構の片方だけに強制的に適応させられたために、強制的に適応させられた方が
駄目になるというのは全部だめになるということなのである。

御両親が文化について無知だったのか、それともサブカル全般について嫌悪があったのかは
わからないが、現在の若者が同世代と共有できる文化が死活的に重要であるという認識は乏しかった
のだと思う。

本当に死活的に重要なのである。

これは、実感をもって言えるのだが
生まれたときからテレビを見てる世代とそれ以前の世代では、PCを習得するスピードが違う。
よくおじさん世代がPCに不得手なのを年齢のせいにしたがるが、これは年齢ではない。
育った環境のせいだ。

ついでに言うと下記の点等別にPCの習得とはあまり関係ないにも関わらず世代差が出そうな
項目を列挙してみよう。

「MADを編集するセンス」
「イラストを描く」 
「DTMソフトを使って音楽を作曲する」
「映像からドキュメンタリーかドラマかを見分けたり、SFXを見分ける能力」
「ギャグのつぼ」

などなど

テクノロジーを前提にした膨大な文化が存在してるにも関わらず、活字を前提にした文化しか
与えられなかったら、上記に記載したような能力が育たないのでないだろうか。

私見だが、加藤容疑者は人生において落伍してた以上に、同世代から文化的に落伍してたのでは
ないか。

不安定就労者とは言え、それ程貧乏だった訳でもなく知的能力も高かったこの若い男が
実際にやった文化活動が携帯電話を使った膨大なネットへの書き込みのみだったというのは考えて
みれば不自然である。

つまり普通にサブカルに接した普通に頭のいい普通の若い男なら、もうちょっと他にやれることが
あっただろうってことなのだ。

アキバの事件の後、人生の落伍者と言う意味で加藤容疑者に共感する声がネット上にあふれたが、
加藤容疑者が文化的に落伍してた可能性は指摘されない。
そんなことはありえないと思うからだろう。
だが、実際あのような生育環境だったら勉強では好成績を残すだろうが、文化的には落伍する
だろう。サブカルに対する教養が蓄積しないからだ。

ぼくは、加藤容疑者があの街で無差別殺人事件を行ったのは偶然だと思っていた。

だが、もしかしたら本当に彼はアキバを狙ったのかもしれないのである。

それとこれは決定的に重要なのだが、子供を無差別殺人犯にしたくなかったら同世代の文化を
遮断しては絶対駄目だということである。