『高校生が感動した「論語」』 | ぐるくんのむだばなし

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大好きな韓ドラを見ていて気付く、韓国の生活習慣などに興味がわきます。

 慶応義塾高校の教師だった佐久 協(やすし)さんの著書、『高校生が感動した「論語」』を読み終えた。

 思いも寄らぬ事に、何度か胸を突き動かされ、涙が出た。

 
論語



 この本は、中国の思想家、孔子の語録を弟子たちがまとめた『論語』を佐久先生が、高校生でも理解できるようにと現代風に読み下し、解説してある。


 まずは、『論語』について考察・・・

 中国の春秋時代、なんと紀元前770年~紀元前403年の時代だ・・・孔丘(孔子/紀元前551年~紀元前479年)は、実力主義が横行し、身分制秩序が解体されつつあった周末、魯の国に生まれたと言われている。

 堯(ぎょう)・舜(しゅん)、文武周公など更に古い時代の名君、君子と言われた治世、政治を理想として、仁義の道の実践し、身分制秩序の再編(上下秩序の弁別)などを唱えていく。

 孔子の弟子たちは、孔子によって体系化された思想を奉じて教団を作り、戦国時代、「諸子百家」の中の「儒家」と称され、「徳」による王道で天下を治めるべきであり、同時代の武力による覇道を批判した。
 

 そもそも『論語』は孔子の著書ではなく、孔子とその弟子たちで交わされた数々の言行を、孔子の死後、弟子たちがまとめた言わば「語録集」と言う訳だ。


 孔子は、自らの思想を国政の場で実践する事を望んだが、その機会には殆ど恵まれなかったと言う。

 孔子の唱える体制への批判を主とする意見は、春秋戦国と言う乱世の中、支配者が交代する度に聞き入れられなくなり、晩年は、失望して支配者の元を去る事を繰り返していた。

 孔子の思想を忠実に守り、孔子が最も愛したと言われる弟子の顔回は、赤貧を貫いて若くして死ぬ。

 また、理解者である弟子の子路は、謀反の際に仕えていた主君を守って惨殺された。

 これらの事態に、すっかり失望した孔子は、不遇の末路を迎えたと言われている。

 後に「儒家思想」は、(前)漢の時代(紀元前202年~8年)、国家の教学として採用され、国家基盤の骨子となる。


 封建、世襲を基本に置く統治では「儒教」の教義は、階級制社会を維持する上でまことに都合良く、本来孔子が望み、求めた事とは違ってしまうが、広く東アジアを中心に伝播し、根付いていった。


 南宋の時代、朱熹(朱子/1130~1200))によって再構築された儒教の新しい学問体系の「朱子学」が、江戸時代、林羅山によってその名分論が武家政治の基礎理念として再興され、江戸幕府の正学となる。

 正学となって、お江戸の封建社会を形成した朱子学ではあるが、この台頭によって、後に天皇を中心とした国造りをするべきだと言う「尊王論」が生まれ、尊王運動が起こる事となる。

 また、この思想は、近代日本にも強い影響を与え、特に心酔した軍部の一部により、二・二六事件や満州事変にも多少なりとも影響を与えたと言われいる。



 日頃、良く観ている韓国ドラマでは、歴史物、現代物問わず、「孝」とか「忠」と言った所謂、儒教の教えの一端を垣間見るシーンや台詞がよくある。

 このルーツは、13世紀に朝鮮に伝わった朱子学が、朝鮮王朝の国家の統治理念として用いられた事にある。

 朝鮮ではそれまで、高麗の国教であった「仏教」を排し、朱子学を唯一の学問(官学)と制定した。

 李氏朝鮮時代、日常生活にまで浸透した朱子学を思想的基盤とした両班(ヤンバン)は、知識人・道徳的指導者を輩出する身分階層となっていった。


 簡単に歴史を紐解き考えてみると、2千年以上に亘って、強い影響力を持っている事が判る。


 佐久先生は、≫『論語』が長きに亘り、日本人の精神と道徳の根幹であり続けたとし、大人になって社会に出、人と人との間で揉まれ苦しむ時、真に役立つのが『論語』である。≪

 ≫『論語』が苦労人、孔子ならではの処世術に満ちている、共感できる章句が一つでもあれば、必ずや読む者の助けとなるはずだ。≪と言う。


 紀元前の昔、孔子が憂いた様々な事が、2008年の今、全く同じである事に、一番驚いた。

 それだけに身につまされた。

 時代が移り、世の中がどんなに変化しようと、人として全うに生きて行くって事はそんなに変わっていない。


 聖人君子にはなれなくても、善く生きなくちゃなぁ~

 子曰、人之生也直、罔之生也、幸而免。
 (子曰く、人の生くるは直(なお)し、これを罔(し)いて生くるは、幸いにして免るるなり。)

 ともかく人生は、愚直なくらいまっすぐに生きるのが一番だよ。