自分を愛し仲良くする~いじめについて | ☆自己の輝き発見~カタカムナ☆

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自分の潜在意識に内在する無限の光と輝きに気づき、
過去の記憶の波動を、感謝と喜びに書き換える。
そのプロセスを、カタカムナとともに楽しんでいます。

今回は、「いじめ」について書くことにします。

幼少期の僕は、「いじめ」について言うなら、
リアルのび太君!でした。
まあ、動作は遅い、力は弱い、という有り様だったから、容易に想像がつくでしょう。

・なんで僕ばかりが、物をかくされるとか、されないといけないの?
・どうすれば、いじめられなくなる、というのか?
などなど、思い悩んでは、悔し泣き・・という状況だったことは、言うまでもありません。

小学校の時は全般にそうで、中学でも、3年の前半までは、ざっと、そういう状況でした。
今だから、冷静に記事にして書いているけど、当時はといえば、嫌な思いばかり。

中2のある日、家でも嫌なことばかりで、生きていることそのものが嫌になって、
行先に「東京」と書かれた新幹線ひかり号を見上げながら、

できることなら、これに飛び乗って、東京へでもどこへでも、逃げてしまいたい!
と、思ったこともありました。

けど、そうして悩んでいたある日、どこかから、
「生きていれば、きっといいことあるよ。」
という、声ならぬ声が聞こえて、それで辛うじて踏みとどまった時もありました。

中3の後半のある時期に、なぜそういうことを思ったか、記憶が定かではないけど、

自分のまわりの色々なことが、うまくいっている!
と、心の中で自己暗示して、過ごしていました。インスピレーションだったと思います。

その時から、それまで、いじめに遭って悩んでいたのがウソのように、
自分に来るいじめが激減、ほぼゼロに等しいくらいに、状況が変わり、
当時の僕には、初めてといってもいいくらいのことだったから、
ほとんどいじめが起きなくなったことに、逆にびっくり(笑)

思いが現実を創造する、ということを知らずにいたから、いい意味での想定外(笑)

そうした雰囲気のまま、高校に進学、行った高校は、殆どが初対面のメンツだったから、
人間関係も実質、ゼロからスタート、そういう状況も味方につけた感じで、
いじめらしいいじめは、あった記憶もないくらい、でした。

社会人になって以降、
別の人と比較されて凹んだり、思っていないことを決めつけられて嫌な気分になったり、
まじめにやっているのに評価されなくて凹んだり、まあ、色々なことが起きました。
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2010年に、書籍「変換」などで、精神世界のことに足を踏み入れたけど、
当時は、自分の中に正義感が強い所があるから、子ども時代にいじめにあった?
とか、あるいは、過去世でいじめをやったために、返ってきたのかな?とか、

自分に罪悪感を感じて、いじめのことをとらえていたことも、ありました。
けど、今にして思えば、その罪悪感、どこか納得していなかった?という感じ・・。
(今は、この解釈は捨てています。そのことは、後述します。)


ただ、量子力学でさえも、思いが現実を創造すると言っている、というのを、
中3後半期のことから、おおそうか!と思っていたところはありました。

「変換」も「ホ・オポノポノ」も、始めて2年くらいは読んだりブログで書いたりしていたけど、
その後は、しばらく遠のいていました。

そうした状況に変化が訪れたのは、昨年11月のこと。
いろんな出来事は、魂の創造したシナリオが創った現実、ということを、
ある本で、キャッチしていたところだったせいか、突然メッセージが。

いじめという行為そのものは、実はお前がしようとしていた行為でもあるじゃないか?!
と。

今思えば、これが、後述する、
もう一人の自分とのやりとりの始まり、でした。
そして、ひらめいたのでした。
小学校の時に、テレビで見ていたアニメ「ペネロッピー」の、
ワルのキャラ、マントメガネをネタに、「マントメガネごっこ」という遊びをしていたけど、
役目を交換しながら。その遊びにこそ、ヒントがある!と☆彡

僕の魂は、いじめてくる人のする行為を予測していて、それが予測通りに起きた時に、
ほらほら起きたと、起きたということそのものを楽しむ、というシナリオを創っていた(笑)
そう、
魂が設定したシナリオを、お互いに、演じていただけであった。
(何?魂が設定したシナリオだとぉ!と思われた方がいらしたら、おわびいたします。
気が付かない間は、そう思うのも、無理がないことですから。)

このことに思いが及んだ時に、

いじめてきた人を悪いように思って、悪いことをしたなぁ、と思い、
それまで抱えていた、憎しみや怒りが、氷解するのを、感じた☆彡
これが、僕の心が大きく変わる、大きな第一歩!
になりました。
書籍「変換」が言っている変換とは、これなのではないか?とも感じた☆彡

そして、幼い頃に感じた感情を整理するため、
再度「ホ・オポノポノ」「変換」に原点回帰しつつ、

当時どのようにしてもらいたかったか、その思いを、当時の僕に飛ばして、
ハグして包み込むイメージワーク
をしました。

それで、
自分の本質は無限にかわいい光の魂☆彡 というのを感じ始め、
それと同時に、
もう一人の自分=インナーチャイルド、の存在を感じ始めて、
それ以降は、その存在を愛して仲良くする、というイメージ
で、日々過ごしています。

これまで、正義感が強かったりとか、まじめに行動していたとか、
そういうのも、
悪く思われたくないから、恐怖心が動機でしていた行動だったし、
笑われることに対しての恐怖心も、しっかりと居座っていました。

今でも、それと同じような状況が再現することはあるけど、
ああ来た来た、これを恐怖に思っていたんだなぁ(笑) と、客観視しています(^o^)
居座っていた恐怖心は、薄らぎつつあります
ニコニコ
また、正義感に罪悪感を感じる必要はなくて(笑)、善悪のジャッジをするのではなく、
自分の心を愛で満たす方向にベクトルを向きかえれば、
正義感は、素晴らしいギフトに
プレゼント

僕も、動きが遅いとか、力が弱いとか、自分をマイナスイメージでとらえていました。
そう、自分のことが嫌いでした。それも、いじめを引き寄せた一因かと。
過去生で何をしたとか、そういうのはどうでもよくて、
ただ、インナーチャイルドの存在の記憶が再生されていただけ?
それを、ただひたすら、感謝して、クリーニング(^o^)

4つの言葉は、インナーチャイルドの存在に対して、使っていますニコニコ

いじめをする側も、内在する恐怖心や劣等感などの感情を認めたくないために、
やりやすい人を選んでやっているだけなのかな?という感じがします。
自分で自分のことが好きになれば、自分に自信が持てるようになるだろうし、
そしたら、誰かをいじめる必要はなくなるのではないだろうか?という気がしています。


自分の本質は、無限大にかわいい、光の魂☆ そして、
自分の思い一つで、身の回りの現実が、変わっていく☆

これまで色々な本を読んだりしていましたが、もう大半は処分しています。
この言霊こそ、本物!と僕が感じたものは、いま書いた、2つの点です。


幼い頃に、リアルのび太君だった僕が、今は、こういう感じです。
また、「乙男」の記事でも書いたけど、

「かわいい」という言葉に対しても、深く、感謝の思いを感じています☆彡

「いじめについて」のつもりが、今している心の学びの内容に。
かつては、愛に飢えた孤独感でいっぱいの、「愛飢え男」(笑)でしたが、
僕にとっては、過去のいじめは、愛を学ぶために起きていたことで、
そしてそれも、魂の設定していたシナリオだったのではないか?と感じています。