自分を愛する、ということ → 今まさに、自分の重大なテーマになっています。
Facebookで最近、そのような波動の方々とのご縁が増えてきており、
自分としても、感謝と喜びと希望を感じているところです。
「自分を愛する」 子どもの頃からそれができていたら、苦労しませんけどね(笑)
実際の所、両親の仲が悪い・兄弟の仲が悪いという状況であった上に、
・自己愛を優先させることは、良くないこと
・男性なのに女の子みたいなのは、良くないこと
などなど、悪いように思い込まされた縛りは、色々とあり・・・。
否定的なイメージを植え付けられる方が圧倒的に多い!
としか思えない状況で、育ってきました。
家や学校で、僕の身に何が起きていたかは、簡単に想像がつくと思います(笑)
ふだん、自分のことを指して言う時は、大体、「俺」ですが、
一応、このブログでは、「僕」で通すことにします。
僕は、男性だけど、女の子っぽい、と見られる面が、色々とあり。
それ自体は、自然なことだけど、子どもの頃は、結構気にしていました。
持たされた水筒は、兄の水筒と区別できるよう、赤い水筒だったのですが、
遠足の時など、とても恥ずかしかった(笑) 今でもリアルに思い出します。
ただ・・不思議なことに、小学生の時のある日、鏡に映る自分の顔を見て、
目が輝いている、と感じて、心の中で、そうつぶやくことがありました。
誰からも教わってはいませんけど、ふとインスピレーションで来て、やった気がします。
まあ、さすがに声に出しては言えなかった(笑)
これ、自分を輝かせるワークの1つみたいですが、
それをその当時、自然にやっていた、という、当時の自分に、感謝です♪
ただ、こういうことをしていた、というのを、人前で言ったことは、まだないです。
前のIDでも書いたことはなくて、この記事で初めて書いています。
高校の時など、男性でありながら女子の人に「かわいい」と言われることが時々あり、
当時は、自分にそういう言葉が向けられることなど、想像もしていなかったから、
どう対応するのが適切なのか、実は、それが当時の悩みでした(笑)
今なら素直にオールOK!で受けてよかったんだと分かるけど、当時はね・・・。
そのギフトを受けられるだけの器が、まだ十分になかった?のでした。
ただ、必ずしも悪いようにとらえてばかりではなかった所も、あります。
自分の呼び名が「○○ちゃん」(○○は自分の苗字)だった時も、
そのまま、流していました。
一方、どう対応するのが適切か悩んでいた影響で、高校の時のことだけど、
「かわいい」という言葉をスルーしてしまったという、苦い思い出もあります。
今でもこれを思うたびに、「ごめんなさい」以外の言葉が出ませんm(__)m
そう、僕が自分を愛し切っていたわけではなかったために、起きたことでした。
思い込まされた縛りのため、何か罪悪感みたいなものもあった感じがします。
最近、改めて「変換」「ホ・オポノポノ」などでやっているワークとは・・・
悪いように言われて悔しかった思いや罪悪感などをクリーニングして、
「自分の中の、キラキラした輝きの表れとして、『かわいい』という言葉があり、
自分は男性ではあるが、自分の意識の本質は、実はそのようなものである☆」
というイメージへの書き換えワークです。
「乙男な自分を愛して仲良くする」
というテーマで、正直な思いを、綴ってみました。
このテーマを、これだけカミングアウトしたのは、初めてです(笑)
前のIDの時なら、アメンバー限定記事にしようか、と思うような内容ですが、
あえて、限定しないことにします。