この記事なんですが、果たしてこれで終わりでいいのでしょうか?

公益性を助成理由とする無料貸与の又貸し利得は不当利得にならないのか。

一部公益性を認めるとしても不当利得の返還を求めなくてもいいのでしょうか?


センター家賃

(京都.11.30)


解放同盟マーク


同和団体2施設土地使用料徴収 --京都市、9月(分)から


京都市は、30日開かれた市議会決算特別委員会で、部落解放同盟京都府連の関係団体が

運営する「京都府部落解放センター」(北区)と、京都地域人権運動連合会の関係団体が運営

する「みかげ会館」(左京区)の土地使用料免除を見直し、今年九月分から使用料を徴収する

ことを明らかにした。

そのままスルーしそうな記事ですが、もともとこの(センター)市有土地は団体への貸与が決まる前から

解放同盟が強引に自分たちの「センター」建設計画を推し進め決定。周辺住民には騙まし討ちのような

形でごまかしています。

市の許可の無いまま決定し、しかも又貸し収益を得た問題はどうなるのでしょう?



■解放同盟は無断で市有地利用を決め、

公益事業と言いながら賃料収益を得ていた

奇妙なことに、現在の北区小山上総町の

市有地(交通局の旧用地だった)を解放同盟側に貸し付けることが決まる前から、同盟は市に無断で予定地に決めてしまい、市に建築確認申請までしている(市がこれを受理したのもひどい話だが)。おまけに対外的には堂々と建設資金の募金呼びかけまで行っているのだ。

 この問題を市会で取り上げた阿美弘永市議(共産党)はこんな事実も指摘している。


「去る一〇月三日(一九七九年)、二人の青年が建設予定地の付近住民約三〇軒に対し、ラックスという石けんの詰め合わせを持参されているのです『福祉会館を建てますからよろしく』との挨拶だったということです。

 たまたま紫明学区で福祉会館を建設する運動が起こっており、(石けんを受け取った住人は)自分たちの運動が実ったと喜ばれたそうですが、詰め合わせの包装紙を開いてみたら『部落解放同盟』と書かれてあったのであります」

(昭和54年10月26日 京都市議会本会議禄)


『ねっとわーく京都』H18.8


市から土地をただで借り続ける一方、毎年貸し館事業で千六百万円もの収益を上げ、財団の預貯金は

1億六千万円に上っていました。

これについては同和問題を追及する「同和利権の真相」が詳しい。


ところで「同和利権の真相」シリーズについては執筆グループが共産党系であるため全解連(全人連)の

追求は放置で公平性に欠けているのではないかとも思っていましたが、同和問題追求スタンスとしては

解同も全解も関係ないと考えているようです。

利敵行為をしているのはだれか

http://www15.ocn.ne.jp/~almarid/text/112.html

(マリード)

わたしが月刊誌『ねっとわーく京都』で全解連京都市協の非に触れる文章を書くと、途端に矢が飛んでくる。「そんなことを書いて、敵に利するだけだ」と。

 寺園の書いていることは事実に反するという指摘なら、わたしも真面目に応じるつもりだが、「友軍に弓を引くとは何ごとか。敵を見誤っている」式の批判をなんべんされても、受け入れようがない。

 過去にもいろんなところで書いてきたことだが、部落問題を語る立場には、解放同盟側か全解連側かの二つしか許されないなんて、だれが決めたのか。解放同盟の補助金詐取は悪でも、全解連のそれは必ずしもそうとは言えない(あるいはその逆)なんて寝言が、いったいどこの世界で通じるというのか。

「利敵行為」というのなら、何年経っても過去の不正行為(補助金詐取)の責任をとろうとしない全解連京都市協の現状こそが、乱脈同和行政をただそうと願う人たちに対する利敵行為だと指弾されるべきであろう。

 同和行政はいかなる意味においても、運動団体の占有物ではない。ここを舞台にくり返される不正は、行政と運動団体、あるいは運動団体間で完結する問題ではない。何よりも地区住民をふくむ市民が、もっとも損害をこうむっているのだ。引き起こされる問題の当事者は他でもない、市民なのだ。まず、この自明の事実から出発したいと言ってきたつもりなのだが、苦情を言ってくる人にわたしの言葉は、ほとんど届いていない。

 ところで、全解連京都市協の補助金詐取事件について、わたしがはじめて指摘したのは、『ねっとわーく京都』1997年7月号だった(のち、拙著『「同和」中毒都市』かもがわ出版に収録)。その後の同誌や『マリード』でもこのことについては何度か言及し続けてきたが、ここであらためて全解連京都市協の公金詐取事件に焦点を当てる必要性を感じている。

 その理由の一つは、初報道からかなり時間が経ったこともあり、社会的にはほとんど忘れられてしまっているからだ。新しい読者からは、「全解連はいったいどんな不正をやったのか。寺園はいい加減なことをいっているのではないか」といぶかる声さえ、ときおり寄せられることもある。

 理由の二つ目は、昨年末、明るみになった解放同盟支部による京都市の同和補助金詐取は、97年に明らかにした全解連のそれとまったく同じ手口だったことだ。つまり、97年時点で、この問題の責任を徹底的に追及していれば、その後の同和補助金をめぐる不正はかなりの部分で防ぎ得たのではないか、わたしはそう考えている。

 当時、徹底追及をためらったのは、全解連を不正追及で追いつめてしまうと、それこそ「利敵行為」になるのではないかと危惧したし、また一方で、ここまで不正を明らかにした以上、全解連は自浄能力を発揮して社会的責任を果たしてくれるに違いないと期待したからだった。

 今の時点で振り返ると、それは完全に誤った判断だった。現状認識があまりにも甘すぎた。そして、京都市民の損害を大きくしただけだった。

 理由の三つ目は、なんべんもくり返しているが、全解連京都市協はいまだにみずからの不正については口をつぐみ続けていることだ。


全解連も公金を詐取していた

http://www15.ocn.ne.jp/~almarid/text/113.html

(マリード)


結局同和問題を利権化する勢力に政治的スタンスは関係ないという至極真っ当な話しでありますが

そもそもは解放同盟の中にも現実の解放運動においてそれが逆に差別を温存・助長するのではない

かというまともな意見は存在しています。それにも関わらず運動をリードする中枢が議会の一部と結

託し利権のための運動になって現在に至っているのです。

寺園氏マリードフットノート

解放同盟京都府連駒井派(当時)「雇用促進要求闘争要綱」


「議員、部落ボスの間で、雇用人員の割り当ての奪い合いがおこなわれたり、さらには、職員の昇格までも、行政と議員、部落ボスの政治的取引によっておこなわれている。/その結果、部落大衆は、議員、部落ボスに金銭、物品を贈って、就職、身分の昇格を頼むという、まったく不正常な競争が生まれている」「(選考採用は)部落民としての自覚を高める行政効果とは逆に、ダミンをつくり、ヒロポン中毒、アルコール中毒者等がチェックできなかったり、雇用後の適正なる生活指導ができていないため、職場において、種々の問題をかもしだしている。このことが、差別を拡大、助長、再生産しているのである」(1972年8月)


利敵行為をしているのはだれか(1)

部落解放同盟中央本部の〈『別冊宝島Real 同和利権の真相』への見解〉について『こぺる』2003年6月号に反論文を掲載したが、なんとわたしより1か月も前に、コメントを発表した人がいる。京都部落問題研究資料センター所長で京都産業大学助教授の灘本昌久さんである。

 同センター発行のメールマガジン26号(2003年4月24日) に、「ジキル博士かハイド氏か」と題して、解放同盟の「見解」を次のように批判している。

「見解」は、部落解放運動・同和事業をめぐる数々の問題を軽く考えすぎている。―問題はあるが、組織として対処してきた。個々人の部落民の非行を解放同盟や部落民に一般化するな―という考えのようであるが、それは本当か。

……部落問題の内情を知る人の多くは、別冊宝島の記述は、極端で誇張されている点があるとは感じている。しかし聞きたいのは、誇張され・歪曲されている部分ではなく、片寄りを修正してもなお残る事実の部分をどうするか、部落差別撤廃の目的に照らしてどう考えるかという問題である。

「頭隠(かく)して尻隠さず」という言葉があるが、その頭さえ隠せないような弁明で、どうして多くの人に部落解放への理解を求めることができるのか。……もう少し読む人に「誠意」の伝わる見解を書いてもらうことはできないのか。別冊宝島に悪罵を投げかけたからといって、問題が存在しないことになるわけではなく、まして解決するわけでもない。

 さて、灘本さんのコラムを読んでわたしも共感するところは多いのだが、ここでわたしが言いたいのは以下のことだ。
 京都部落問題研究資料センターは部落解放同盟京都府連と関係の深いところだが(事務所も京都府解放センター内にある)、灘本さんはその所長でありながら、メールマガジンでは過去にもかなり厳しく解放同盟を批判するコラムを書いている


この灘本昌久さん(京都産業大学教授)の意見には私も納得することが多く、このような人が

解放同盟内部におられることで解放同盟の自浄の可能性を感じる・・・事もなくはない。

私がいつも批判する、解放同盟の背景にある政治的勢力の暗躍とその運動の政治的利用。

その最たる象徴である「反天皇(制)」「すべての差別の元凶は天皇(制)」というテーゼ。


その解放同盟の間違ったスローガンを真っ向否定する灘本昌久氏の意見が解放同盟内部から

発信されていることに驚いたものです。

部落解放に反天皇制は無用

http://www.asahi-net.or.jp/~qm8m-ndmt/memento/m_12/yomimono.html

(京都部落問題研究資料センター)


部落差別と天皇制

http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daigojuukyuudai

(歴史と国家雑考)


また以前エントリーで書きましたが

部落問題の根本的意識改革の必要と内部覚醒を促す意見。

(これについても解放同盟中枢は批判しています。)

一言で言うと「破戒」の解釈論争の関係なんですが

この考えを解放同盟が否定(もちろん肯定派も多いですが)することに

そもそもの問題の原因があるのではないかと思います。

私はここに部落問題の本当のキーワードが詰まっていると感じていますので

再掲になりますが紹介します。

■瀬川丑松、テキサスへ行かず

 ―『破戒』のキーワード「隠す」と「引き受ける」について―灘本昌久

http://www.kyoto-su.ac.jp/~nadamoto/work/199607.htm


また

「ちびくろサンボよ すこやかによみがえれ」

という著書も書いておられます。

この「ちびくろサンボ」問題についてはなぜここで取り上げるかを

わかる人はわかると思いますので詳しくは書きません。

批評はここ↓

http://www.ywad.com/books/465.html


ちなみに確か「ちびくろサンボ」は展伝社で再販されていたと思います。

(という意味です)

なわけで私はなんとなく氏にシンパシーを感じてしまうのですがひょっとして

京都産業大学教授ということで所功さんとも深い交流があるのでしょうか。


もちろん氏に批判的な意見もありますので紹介しておきます。

被差別部落と地名のタブー

http://eigaku.cocolog-nifty.com/taboo/


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京都の事を詳しくない人のために(といっても私もそんなに詳しくないですが)

京都市政治背景の変遷のまとめ↓

京都市政治の動態

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1980/8108mi.htm