殴った方は忘れても、殴られた方は忘れないという。

http://www.chunichi.co.jp/00/uho/20060916/col_____uho_____000.shtml

(中日新聞9/16社説)


殴った方は忘れても、殴られた方は忘れないという。

例えば、原爆で灰にされた広島や長崎は、何年たっても忘れないが

落とした方は「戦争を終わらせるための選択だった」と、

もはや忘却のかなたのようだ。

 “歴史認識”のズレはそこから生ずる。自民党の安倍総裁候補は、

日中戦争が日本の侵略だったとは言わない。

また朝鮮を植民地にしたことにも触れない。が、向こうは忘れない。

豊臣秀吉の侵略だって今も。

 過ぎ去ったことは水に流して恨みっこなしとは

やられた方は、そうはいかん。

自らの命を捨ててでもテロをやめない側にも、

長い恨み骨髄の“歴史認識”がある。

そこを解きほぐさねば、手打ちには至るまい。


元寇を思い出せと?

終戦から引き上げ戦後の混乱の中での朝鮮人の蛮行を思い出せと?


いつまでたっても忘れるなというのは

隣接する国家同士においては特に攻撃的な言葉です。


こういう類の論は良く見かけますが

そのたびに思い浮かべる出来事があります。


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秀吉の半島出兵ですが、

近年それにまつわる二つの問題がありました。


朝鮮軍が秀吉軍(秀吉軍というのは少し変ですが)を破った顕彰の碑

である「北関大捷碑」と

その戦役の論功の証として持ち帰った耳鼻の供養塚

である「耳塚(京都)」

に関する話です。




北関大捷碑については日露戦争後存在が明らかになったのですが

それが我が国に移送され靖国神社遊就館内に保存されます。

それが一般に知られるようになり返還論争となったわけですが

当初

「日本が敗北した歴史を隠蔽するために日本へ移した」

とか色々言われていましたが、実際は

「日露戦争での勝利による半島の日本贔屓」の世論の中で

「このような日本撃退の証は破壊した方が良い」という

地元の運動があり

それを知った当時のロシア軍排撃の為進駐していた我が国部隊幹部が

「日韓友好の為には障害という意見も理解できるが歴史の貴重な

資産である。日本で保管するというのではどうであろうか」

と地元住民を説得、そうして我が国に移送・保存されます。




もし「日本が過去に敗北した事実を隠蔽するためであれば

どさくさか強圧をもってすでに破壊しています。





それが最近返還問題となり、靖国神社が保存しているという事もあり

政治問題化する寸前でした。


しかし靖国神社と我が国当局とそして韓国担当者の冷静な対応で

元の所在地である北朝鮮側に返還されます。今年の事です。

この問題が韓国の現在の対日感情下において冷静に解決された事は

奇跡的にも思えます。

韓国統一部は

「大捷碑に関しまして、今まで丁重に保存して下さり、また返還に柔軟

な決断をして下さった靖国神社と実現に助力頂いた日本の外務省に

心から感謝しています」と表明。

まさに日韓相互理解の見本とも思える双方の対応でした。




さてこの返還運動の日本側の中心人物に

日韓仏教福祉協会の柿沼洗心氏という僧侶がおられます。

この方はもう一つの問題である

「耳塚返還事業」の日本側代表のお一人でもあります。



「耳塚」とは何かというと

秀吉半島出兵時における論功の標として持ち帰った

朝鮮軍兵士の「耳鼻」です。

耳鼻を持ち帰ったということで「残酷」だとかいう今風の解釈をする向き

もありますが当時は朝鮮軍であれ日本軍であれ論功の標は

「首」でありました。しかし海路という実情もありそれは「耳鼻」に

代替されます。これは至極当然な成り行きです。


さてこの持ち帰った耳鼻は論功標を経たのち京都において

「耳塚」として慰霊されます。



そして数百年の慰霊、保存を経て近年この存在が韓国側に伝えられ

ます。そのこと自体は慰霊の心から発する自然な思いであり

日韓の相互理解の期待を感じさせるものでした。




柿沼氏の立ち位置というと失礼な物言いですが

私が氏とお会いしたのは民族派系集会といいますか、

氏自身民族派誌の協賛もされていますからわかると思います。




本来「真心」と「真心」の間で解決されるこの返還事業でした。


耳塚の存在が韓国側へ伝えられたのは1980年代半ば、

その当時の韓国側の正式な返答は

「両国の不幸な戦役により没された我が国兵士の御霊を数百年の間

慰霊・保存頂いたことに心から感謝します。

論功の標としてだけで処するのではなく

長きに渡り、守り、法要を営まれた貴国民の良心に対し、憎しみではなく

謝意を覚えることで両国のさらなる理解が深まる事を望みます」




しかし数年の後、一大法要(『耳塚霊魂還国奉送 日韓合同大法要』)

の開催の時には「日本による朝鮮侵略の証」としてこの残虐で不幸な

事実を伝えていかなければならない」というような話が出てきます。


つまり純真な返還事業が両国で拡大するにつれ、様々な汚物が

紛れ込んできたのです。


まず韓国側には耳塚の問題を反日政治問題に利用する勢力が

紛れ込みます。実際は政治問題化するように煽ったのは我が国の

反日マスコミ連中です。

我が国側にも反日マスコミ連中が左派陣営や同和団体をこの事業に

無理やり関連付けようとして煽ります。


最近話題の耳塚地元の崇仁協ですが、崇仁協も耳塚返還事業の積極

推進派です。しかし純粋な心をもって耳塚の御霊を帰国させてあげたいと

いう人も崇仁協におられるのに「日帝による半島侵略の云々」と

強調するに至っています。事は同和と在日という単純な世界ではなく

純粋な慰霊の心が何者かに利用・捻じ曲げられてしまう問題です。

崇仁協も単なる似非のような守銭奴ばかりになりつつある。

水平者宣言発祥の地が泣くってもんです。

解放同盟と共闘しないのは単に行政利権の主軸から漏れたことと

在日特権との絡みと言われても仕方ありません。


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中日の社説に対してこれらの例を挙げたのは


本来国家間の意見対立っていうのは、感情の沈静っていう要素もなければ

解決できないわけで、経年っていうのは自然な解決の糸口であるわけです。


それを最初から「殴られた方は忘れないから」ってやられると

近隣する国家関係では相互理解などというのは未来永劫訪れません。

<>そりゃ我が国からすれば「原爆」は忘れることは出来ないでしょう。

しかし感情の沈静によって解決する事もあります。


それを邪な輩が政治利用する。

ようはマスコミが相互理解のきっかけを潰すような愚は犯すなということです。