「 SAMURAI × CHICANO 」~俺達の街角~ | a.k.a JINOの監督日記

a.k.a JINOの監督日記

映像作家・宮野ケイジが、日々の何気ないプライベートな出来事や制作日記を綴る独り言。。

HIRO(a.k.a Psycho Coyote)


現在、セミドキュメンタリー映画として彼を撮っている。


a.k.a JINOの監督日記-ファイル0029.jpg


a.k.a JINOの監督日記-ファイル00350001.jpg

ギャングスタとして渡り歩いた壮絶な人生は

既に雑誌等で知られているが・・・


青春時代に憧れた義理人情の世界。


やがて極道の道へと進んだ。



しかし、価値観のズレから

やりきれない思いを抱き、

たった一人で渡米する。


彼はまだ16才だった・・



当時、ギャング同士の抗争が最も激化していたイーストLAで

CHICANO GANGと行動し、生活を共にした・・


自らが求めていた価値観がそこにあると感じたのだ。



ある日、100メートル四方で各エリアがひしめく

最も治安が悪い18stに足を踏み入れた・・・


そこはホワイトフェンスに所属していた仲間であり友人のルイスから

ここだけはついてくるなと止められていた場所だったのだが・・・


そして、ギャング同士の抗争で度重なって起こっていた

ドライブ・バイ・シューティング(敵地に車で突っ込んで走りながら無差別に銃を乱射する)に遭う。


辛うじて銃弾を免れたHIROだったが、


ルイスが・・ 死んだ。



HIROは言う・・

「ギャングスタイルもチカーノスタイルも、カッコいいだけのもんじゃない」



権力を手にした者達から選択肢を狭められ、

自分たちを護る為にそれぞれが選んだ手段だ。


例えば「俺はギャングだ」という名乗り自体に命が懸かる・・・

また、命を護る為に名乗るのである。

そして、家族や仲間を護ることに繋がっていく。

虐げられていた環境の中、

チカーノは互いに助け合い、

支えあう信頼関係を構築し、

今も受け継がれている。



やがてHIROは、

チカーノの精神を継承すべく新宿に舞い戻る。


そしてその後一世風靡した

カラーギャング「G-STYLE」を結成。

青ギャングの頭としてチームを束ねた・・・



HIROがまだ若くして極道の世界に足を踏み入れ、

現在に至るまでの数多くのエピソードは、

今や既にアーティストとして活躍している瓜田純士氏が

当時からHIROと兄弟分であることからよく知るところであり、

瓜田氏が執筆中のエピソードを元に今後この作品のディテールを構築する。


HIRO氏が現在ステージでパフォーマンスするリリックの多くは

塀の中で書き留められた言葉から抽出している。

普遍的にリスクと相対するからこそ承認を得、

命を削って歩んできたからこそ心や魂に響く。


a.k.a JINOの監督日記-HI3E0010.jpg



ひとつの不良の流儀がここにもあった・・・




日本人は今、

心の部分で大事なものを失ったままなのではないだろうか・・


我々の心の中に潜在的に眠っているモノを呼び起こしてくれるのでは・・


そんな期待に彼なら応えてくれるかもしれない。



彼はまさに ”侍” である。