舞台関係の撮影をやっているため、その世界の「専門用語」というのも、多少知っています。この世界は特殊な言葉を使うので、最低限の専門用語を知らないとチンプンカンプンになってしまうので、我々カメラマンも覚えないといけないのです。今は、こういうのが簡単に「検索」で理解できますから、いい時代になったものです。昔は、恥ずかしい思いをしながら覚えていったものです。

たとえば、「ばみる」

若い頃、最初、「カメラマンさん!、悪いけど、そこ、ばみっておいて」なんて言われたとき、さっぱりわかりませんでした。
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「ばみる」は「場を見る」の略で、「場所の目印をつける」ということ。たとえば、ピアノ発表会の時に、生徒さんが、演奏の前に客席に向かってお辞儀をしますが、そのお辞儀をする場所をあらかじめ決めておかないと、一人ひとりでてんでんばらばらになってしまうので、あらかじめ、テープで「T」の字に目印をつけておきます。これが「ばみる」で、生徒さんには、「あそこにテープで印をつけたから、あそこに立ち止まってお辞儀をして下さいね」とお願いします。
よく使う用語なので、ピアノ教室の先生なども常識的に知っています。

こういう専門用語は、最近はテレビで、タレントさんも使ったりするため(とんねるず、なんかも多用しますね)、一般の方も知っていたりしますが、今回は、その「誤用」の話。

「見切れる」

これは、モロにカメラマンに関連する用語なので、昔から多用しています。

「おいおい、アシスタント君が見切れちゃったよ。何やってるんだ」なんてふうに使います。
「見切れる」とは、画面の中に、本来入ってしまっては困る人物や物が、入ってしまう、ミス」のことです。
たいていは、「スタッフ」が画面の中に入ってしまった時に使います。その他、「電柱が見切れてしまった」とか「隣のビルが見切れてしまった」とか、とにかく、「余計な物が画面に入り込んでしまった」ということです。

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「画面の左隅に、別の列車が見切れてしまった」

でも、一般の人が、今多用している「見切れる」は、本来の意味とは正反対です。
「8人が横一列に並んで記念写真を撮った。でも、両端1名ずつが画面に入りきらないで、見切れてしまった」と使います。要するに、「画面に入って欲しいものが入らなかった時」に「見切れた」と使うのです。

ですから、本来の意味で使っている人と、今、一般的になっている意味で使う人が、会話すると、わけがわからないことになります。

写真の世界では、「右端に、関係のない人が見切れてるから、トリミング(=カット)しておいて」などとよく使いますが、一般の人は、「右端の人が見切れてるんで、この写真はNGです。見切れてないやつを使ってください」なんてふうに言います。

昔は素人さんが「見切れる」なんて使わなかったので混乱はなかったんですが、今は、普通に誰でもが使うので、正直困ります。
お客さん側は、本当の意味の「見切れる」を知りませんから、私のほうから「見切れてるので」なんて言うと、お客様も勘違いします。

この言葉、今後は使わないほうがいいのかも? 参ったなあ。

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