9月分ってところからだと半年は経ってないけどそれぐらいぶり!
これだけ時間経つと、まあログインのパスワードも忘れるよね!


コメントもゴメン!けっこうさっき見た!
返事を要するコメントだったっぽく申し訳なさでいっぱいです。
なんだか、怪我でケツ場してる間プロレスのリングでなんかしてないと
モノを言っちゃいけないんじゃないかと思ってしまいましてね。
結局、我々プロレスラーにカテゴライズされてる人たちは
リング上で語ってナンボなんで。
まあ、それとブログを気にかけてなかったのは関係ないけど。
いつの間にかコメントの通知機能が機能しなくなってたっていうのも言い訳ですね。
申し訳ない。これからは毎日チェックします。


アレですね。
この数か月でいろいろ変化がありましたな。

いや、本当は人生変化はあるんですよ本来。
それに気づいてないだけで。
人間は勝手なもんで、
自分に降りかかった不幸には神経質なくせに
幸せにはなかなか気づいてあげないんだよね。
「不幸」の気持ちになってみりゃ、かまってくれるから
そら色々ちょっかい出してくるわな。
逆に「幸せ」の気持ちになってみたら、気づいてくれないから
もうええわ!って気になって近寄ってくれなくなるよね。
なので、こっちが気づいてあげたら
幸せも多めに近寄ってくれるんじゃないかな、と。
ホラあいつ、気難しいから。


てなわけで、さいたまスーパーアリーナですよ。
総選挙前に考えていたヤリたかったことはできないけれども
それでもやっぱり私には私にしかできない事があって
見てる人がとにかく楽しんでもらえればそれでいい。

DDTは今駆け上がっていく最中で。
勢いはあると言ってもいいでしょうな。
どこまで続くかわかんないけど。
いい時はいいんですよ。だっていいんだから。
問題は、良くない時に自分がどうあるべきか。
大なり小なり、いつかその日は来るんです。
明けない夜がないように、暮れない昼もないんです。
良くない時。
…ん?待てよ。
遅くないか?
悪くなってから自分の在り方を見つめなおすのって、遅くない?
言い方変えれば、状況が悪くなってから態度が変わるわけだよね?
感じ悪くない?
良い時に近づいてきた人はあなたにまつわる利益を見て
悪い時に近づいてきた人はあなたの人間を見る
って、ちっちゃい頃誰かに教えられた。
大人になって、実際そう思う。
どちらが悪いわけでもない。
利益を共有するために知り合うことだってあるだろう。それは悪い事じゃない。
悪い時や、良くなる前に支えてくれた人、
これは自分の肩書ではなく、中身を見て支えてくれた人だから
感謝すべき対象であることも事実だ。
流れがいい時には人が自分の周りに集まりだす。
流れが悪くなったら人は離れていく。
だって、利益で近づいたのに、利益がないんだもん。そうなるわいな。
これは自然の法則に近い。
そういうもんだと思っとかないといけない。
じゃないと、悪い時がきて、人が去っていって、何でもかんでも他人のせいにして、なぜ悪くなったのかっていう自分の問題まで人のせいにしてうやむやにしてしまうというサイクルが生まれてしまう。
対策立てるのに自分を正しく見つめる作業って、大事だからね。
でも、たぶんだけど、悪くなってからだと遅い。
状況そのものが去った他人のせいにできてしまうから。
となると!
良い時にこそちゃんと自分を見つめないといかんのじゃないか?
そういえば、いい時って自分を過大評価してしまう傾向にあるから
正しい判定ができない。
良い時こそ正しく見つめるのが難しい。
で、そこでうまく自分を見つめられないと後々のひずみを生み出してしまう。
世の中上手く出来とるのう。

…あれ?
今じゃないか?
まさに今、DDTに勢いはあって、
これよりさらに大きくなるのかどうかはわからんけども
少なくとも勢いがあるとされている今。
こここそ正しく自分を見つめられるかどうかの瀬戸際じゃないか?
たぶんだけど、怖いのは今を当たり前と思ってしまう事だ。
幸い、私はどインディの頃の自分を覚えている。
何ならプロですらなく、アマチュアでヤってた頃の自分も覚えている。
まったくもって忘れちゃいない。
これを経験っていうんだろうね。
よくスポーツとかで「経験が大事」みたいなこと言われるじゃん?
今までは「そんなもんかねえ」って思って聞いてたけど
38歳になろうこのタイミングでようやく気付いたね。
経験はね、それ単体では役に立たないの。
「今後自分がどう変化に対応すべきか」
「そのためにどのように自分を正しく見つめるか」
を遂行するために必要な情報なのね経験って。
なのでね、経験を活かすとすれば、今なのですよ。私にとって。



中澤さんが次の試合でとりあえず最後なんだってね。
知ったことか。
私が提供できる面白いことは中澤さんが史上初の公開離婚をすることで
中澤さんが提供できる面白いことは離婚の危機から全力で脱すること
でしょ。
DDTが勢いつく前からいた我々は、我々にできる事やるしかないでしょうが。
我々の事など、知らない人はたくさんいる。
そこに訴えかけてきたんでしょ我々は。
だから、利用価値があるうちはまだいていい。
この場所にいる以上はいいもん見せる。
中澤さんが最後とか、私が休み明けとか関係ない。
DDTでしか見られんものを見せてやる。
それが私の、そして中澤さんのプライドであり、DDTにいる意味なのだ。
そして、そのプライドがある限り
中澤さんも私もDDTにい続ける。形はどうあれ。


では日曜に。