鈴懸の木の道で「君の微笑みを夢に見る」と言ってしまったら僕たちの関係はどう変わってしまうのか、 | Orange Diamond -松井珠理奈ファンブログ-

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ダイヤの原石は、
10年の時を経て、
誰よりも輝くオレンジ色のダイヤモンドに。

僕なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなもの、という「タイトルの話」。
…というタイトルにしたかったのですが、そもそも楽曲タイトルが長すぎて入りませんでした…。

前のめり雑感② …って感じで書きはじめたはずが、のっけからまったく「前のめり」に関係ない話になりました。しょうがないので前のめり系雑感は①だけで、何事もなかったかのようにしれっと終わりです。笑

ここからは、とりとめのない独り言。
話があっち行ったりこっち行ったりします。←


これまでにも、何度も思っているのですが。

前のめり、前のめりと文字にする珠理奈ちゃんを見ていて(読んでいて?)、いつも思うことを、また思いました。

この子は楽曲のタイトルをすごく意識するんだなあ、と。

彼女にとって大切な楽曲については、わりといつもそういう印象。
決して多くはなさそうに感じる彼女のボキャブラリー(ごめん)の中で、何度も選んで使う言葉、大事にしている言葉には、彼女の大切な楽曲のタイトルに関するものが多いような気がします。(あくまで、私の感覚ですけど)

タイトルというより、同じ言葉が曲中の大事な部分で使われる傾向が多いので、「楽曲のキーフレーズ」と言ったほうが正しいのかもしれませんが。いずれにせよ、楽曲全体の世界観をすべて背負った言葉として、文字を使っているように感じます。


そう思ったら、ふと、「タイトル」って大事にしたいなあと思ったんです。

彼女の大切な楽曲は(はっきりと彼女が主役である最近の曲は、なんだかタイトルが長い傾向があるんだけど…)もっとタイトルを大事にしてあげたいな、と。

「赤ピン」と略される「赤いピンヒールとプロフェッサー」も、だし。

「鈴懸の木の道で「君の微笑みを夢に見る」と言ってしまったら僕たちの関係はどう変わってしまうのか、僕なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなもの」もです。略称の「鈴懸なんちゃら」がすっかり定着しているけれど、正式タイトルも大切にしてあげたい。

(本当のことを言えば「UZA」がもっとも大切な曲になるはずだったと思っているんですけど。タイトルの短さも含めて本気度がうかがえる…けれど、それはさておき)


もちろん、この略称を言い出したのは彼女自身。(赤ピンもね)

そして略称はとても大切。呼びやすさって、本当に大切。ニックネームがいかに大事かって話をしたこともあったように(「ニックネーム」の重要性について考えてみた)、一言で印象に残る「記号」があるかないかは、人々の間に浸透していく時期にはものすごく大切です。商品も、コンテンツも、もちろん人も。

良い「記号」をつけられるかどうかに、それこそ売れるかどうかがかかっていると言ってもそれほど過言ではないと思います。

ただ、わかりやすい「記号」は浸透させるための手段、もしくはそこから現物を想起させやすくするための手段であって、本来はその奥に幾重にも折り重なる「意味」みたいなものがあるわけで。

一定以上の水準に達したら、その「意味」のほうも重視したいなあ、と思わないでもないかな、なんて思ってみたり。


タイトルって、とてもとても大切なものだと思うんですよね。
歌詞も、メロディも大切だけど、それに冠せられた「タイトル」の重要性はその比じゃないというか。
クリエイターにとってもっとも頭を悩ませる部分であり、だからこそ、もっとも自信を持って世に出したい部分な気がします。

タイトルはその作品のすべてを表してると思うし、そうでなければいけないと思います。クリエイターとして。

だから、大切にしたい。


なんというか、取り上げた2曲がどちらも「AKB48名義」であることに、じゃっかんの「何か」を感じないでもないのですが。
(「思い出以上」も「Glory days」も、当然、大事だし、ほかにSKE48楽曲でも大事な曲はたくさんあるけれど)

彼女のことを語るときに、どうしても出てくる楽曲が「AKB48」のものであることは避けられず、それによって非常にその存在の特殊性を実感させられます。特に、軸足の比重が圧倒的にSKE48に寄っているように感じられる昨今の状況を鑑みるに、やはり複雑な心境になりますが、それも含めてまるごと彼女だと思えば愛おしくもなります。こんな状況の子は、ほかに2人といないですから。

SKE48にとっても、珠理奈にとっても、非常に重要な局面を総選挙直後に迎えたので、すっかり総選挙の話題など吹っ飛んでしまいました。今はそれでいいというか、そうするべきだと思うけれど、やっぱり時は流れるし、また巡ってくるわけで。それでもAKB48のセンターに立ちたいと思い続けるかどうか、言い続けるかどうかは、ファンとして見守らなければいけないとはぼんやりと頭の片隅にとどめてあります。


まあ、それはそれとして、タイトルだ。
略称「鈴懸なんちゃら」の正式名称は、よく考えたら、不思議なタイトルなんですよね。
不思議な日本語、なのです。

この長いタイトル、歌詞の内容と微妙に合っていないような気さえします。
でも、クリエイターとしてタイトルの法則を考えれば、この76文字がこの作品のすべてを物語っているはずなのです。

秋元康という人が、超一流のクリエイターだと思っているから、そう信じられる。歌詞全体から受ける印象や、歌詞のワンフレーズを取り上げるより、このタイトルの意味がいちばん大切なんだろうなと今さらながらに思います。

ようやく冷静になって、私はこのタイトルと向き合えるようになりました。
当時、この曲に私はどうにも冷静に向き合えなかったし、今までもずっとそうだった。でも、タイトルに込められたメッセージにようやく向き合う気になりました。


「大声ダイヤモンド」の呪縛から解き放ってあげたい、そう思ってきましたが、その呪縛にいちばん囚われているのは私なのかもしれないと思います。
忘れられないのです。あの時の、小さい彼女が。全身で、戦っていた、彼女の姿が。

思い出をあまり語ろうとしない彼女の姿に、彼女を捕えている何かを感じました。
少しずつ語り始めた彼女の姿に、要所要所で大声ダイヤモンドを出してきはじめた姿に、やはり彼女を捕えている何かを感じました。
始まりの記憶を引き摺らざるをえないのかな、と思ってしまうことがつらかったし、解き放ってあげたいと思いました。

だからこそ、これが出たときに
「この曲が、珠理奈の新しい代表曲になるから」
そう、私は伝えたんじゃなかったか。

忘れてたなあ。
変化の激しい状況に惑わされて、いちばん見失ってたのは自分か…って感じ。

大切なことだけを、ちゃんと見ていければいいなあ。


結論のようなものに辿り着くまでに、2年かかってる。
つくづく私は凡人だな、と思います。


うん、結局、何が言いたかったのかよくわからなくなりました。笑。


とりあえず私は私のすべきことを、一切の手抜きをせずに、全力でやらなければ。
できることもできないこともあるけれど、真正面から当たるしかないから。

そして近い将来、私の何倍も真正面からいろんなものにぶち当たり続ける愛おしいあの子と一緒に、今とは違う景色を見られるといいなあと夢に見ていこうと思います。どんな時も味方でいるよ。



もうすぐ長く連なっていたトンネルの暗闇を抜けそうな気がします。が、夜明け前がいちばん暗いとも言います。

週が明けてしまったから、これから数週間、年度前半の最後のひと山です。高いし、暗い。かかりっきりになると思います。夏が終わるまで、まずは頑張ります。