続いて 「川越まつり会館」 に到着です。


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関内に入る前、 まずは 記念撮影。


こちらは 石原画伯ご夫妻。


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上嶋 姿姫(うわじま しなこ)さんと 私。

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館内に入ると 祭りの衣装をまとった 人形が。


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川越城のあと、江戸城を建立した 太田 道灌像、 思い出しますね。


“七重八重花は 咲けども山吹の 身のひとつだに なきぞ悲しき”


と歌って、 山吹を差しだした 乙女の話です。


この歌の意味は 傘がないので、 美しい 山吹の花を差しだし、


恥らいを うたったものです。


この時、太田 道灌は意味が判らず、 すっかり恥り、


それ以後、五、七、七の和歌を 習得したそうです。


この狩り姿の 太田 道灌像は、 丸の内の東京国際フォーラムの


中にも、 建てられていますが、 江戸城建立記念でしょうか。


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歴史をくんだ 思い思いの 山車が 展示されていました。


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川越まつりは、 慶安元年(1648)城主の 松平伊豆守信綱が


氷川神社へ祭札用具を寄進し 祭礼を奨励、


同4年(1651)に 御輿が氏子の町を 渡御したのが始まりと


言われています。


川越まつりは元来、氷川神社の例大祭で、神社の町方祭礼行事


から成立したものでした。


文政9年(1826)の 氷川祭札絵巻では、 神幸祭を先頭に


列をなして 川越城へ向かう 笠鉾形式の 山車と踊り屋台などの


付け祭りが 克明に描かれております。


天保15年(1844)の祭礼絵馬では、 全ての 山車が 一本柱式に


統一され、 勾欄に 人形を乗せているのが わかります。


さらに 文久2年(1862)の 一枚ずりの番附絵では、


南町と志義町が、 早くも 二重鉾の江戸型の 山車になっています。 


明治以降になると 踊り屋台や底抜け屋台が 次第に姿を消し、


祭礼の運営は 山車を主体とした 現在の形になっていきます。


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全部で29も あるそうです。

昨年は15台が出て、65万人の人が、川越まつりに


来たそうです。


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川越町内の 全提灯が 飾られています。


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皆様も 是非 足を運び、 迫力の山車の数々を ご覧になって


みて下さい。


「川越まつり会館」


〒350-0062 川越市元町2-1-10


TEL 049-225-2727 FAX 049-227-5001


http://kawagoematsuri.jp/matsurimuseum/