11月24日の木曜日の夜、 有楽町にある ザ・ペニンシュラ東京にて
シルク・キュリネール チャリティ・ガラ ディナー と ライブ オークションが
行われました。
この チャリティ・ガラディナーは、 世界中の ザ・ペニンシュラ ホテルズで
毎年 クリスマス シーズンに 行われている
『ツリー・オブ・ホープ (希望の木)』 という
ロビーに飾る ツリーを彩る オーナメントを お客様に販売し、
その売上全額を 『難病と闘う子供たちの夢』 を 叶えるために 寄付する
プログラムと 連動している、 東京の ザ・ペニンシュラ独自の
チャリティー・プログラムです。
会費は お一人 5万円。
そのうち、 1万円は 直接 ご寄付に まわされ、
オークションの収益と共に
『メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパン』 と
東日本大震災の被災地支援のための
『ハンズオン東京被災地支援プロジェクト』 に 贈られます。
5万円の会費を お支払いしての グルメ と 愛飲家たち。
さすがに シックな装いの セレブな方々が 多く 参加されていました。
シルク・キュリネール チャリティ・ガラディナー と
ライブ オークションは 今年で 4回目の 開催を迎えました。
美しい 純白の花と 緑の葉の デコレーション。
とても スタイリッシュな お花達。
サブタイトルに、 『食のサーカス』 と 謳うだけあって、
国内屈指のシェフである
オテル・ドゥ・ミクニの 三國 清三シェフ
リストランテ・カノピアーノ青山の 植竹 隆政シェフ
ラ・ブランシュの 田代 和久シェフ
そして、 ザ・ペニンシュラ東京 から
総料理長 アダム・マティス氏
エグゼクティブペストリーシェフ 野島 茂氏
和食料理長 児島 輝幸氏 が 加わって、
夢のような 食の饗宴が 繰り広げられました。
2009年 グラレンドル・ブラン・バイ・シャトー・オー・ブリオン
(ボルドー白) と 共に
ブルターニュ産オマール海老の うま味ジュレ寄せ
オテル・ドゥ・ミクニ 三國清三シェフ 作
2005年 グラレンドル・ルージュ・バイ・シャトー・オー・ブリオン
(ボルドー赤) と 共に
河豚と松茸の茶碗蒸し ひとくち福鮨
ザ・ペニンシュラ東京 和食料理長 児島輝幸氏 作
2008年 ル・グラレンス・ド・オー・ブリオン
(ペサック・レオニャン 赤) と 共に
キジのコンソメ セロリ 栗とフォアグラパテ 干し柿のブリオッシュ
クリスブリードヴォーとルッコラのロール仕立て ブラックガーリック
ザ・ペニンシュラ東京 総料理長 アダム・マティス氏 作
2006年 シャトー・ラ・ミッション・オー・ブリオン
(ペサック・レオニャン赤) と 共に
平目のオーブン焼き ポルチーニと九条ネギのソテー添え
リストランテ・カノピアーノ青山 植竹隆政シェフ 作
2006年 シャトー・オー・ブリオン (ペサック・レオニャン 赤)
と 共に
川俣シャモのファルシー 黒米詰めロースト トリュフ風味
葡萄のコンフィとビーツのヴィネグレット
ラ・ブランシュ 田代和久シェフ 作
2003年 グラレンドル・アンバーワイン・バイ・シャトー・オー・ブリオン
(モンジャック デザート) と 共に
ベイクドアップルのブリーチーズがけ レーズンサブレ
ザ・ペニンシュラ東京 エグゼクティブペストリーシェフ 野島茂氏 作
オークションの司会者は グレッグ・アーウインさん。 (右側)
私の 左側の女性は 25ans 編集長の 十河ひろ美さん。
右側の男性は ケイン・小杉さん。
私のパーティーにも よく お越しくださる
岸野 禎夫・朋子 ご夫妻。
私は 名古屋に 発たねばならず、 最後まで いられませんでした。
残念。
11時過ぎ発の 新幹線があれば いいのに。
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【署名活動】 を 続けております。
私の 11月15日のブログ を ご参照ください。
2011年11月15日
現皇太子を廃嫡 『皇太子位を秋篠宮文仁殿下へ移譲』 署名運動
悠仁親王殿下に 一刻も早く 帝王学を。
秋篠宮家の 待遇改善を。