僕の論文が、日本形成外科学会誌という雑誌に掲載されました。
英語の論文を書くことが趣味だった僕にとって、日本語で論文を書くことは、なんだか面映かったのですが、嬉しくてたまりません。
なぜかというと、この論文の主人公の方(患者さん)に恩返しできる気がすること、そして日本の他のお医者さんにも、僕の経験から少しでも学ぶことがあったらいいなと思うから。
お時間のある方は、是非、こちら も読んでみてくださいね。
詳しいお話を書いています。
論文に書いた患者さんと出会った当時 (2007年)、僕は大阪市立総合医療センターへの国内留学(手術の武者修行)から大学病院に帰ったばかりでした。
大学院生の四年間のうち、三年間で、懸命に研究を形にして英語論文を数本書き上げて、最後の一年を、手術の武者修行のために、知っている先生が部長をされていた、大阪市立総合医療センターへの国内留学にあてたいと、大学に申請しました。
しかし、三年で修了することは、前例がないからと断られ、大学病院から、うちの大学よりベッド数が多いとはいえ、市立総合医療センターという、市民病院に手術を学びに行くのは、大学の面子をつぶすとの理由で、大学の教授たちからは反対されました。
結局、研究するためという名目で行くこと、無給で一年間働くこと、という条件を僕が承諾することで、今まで僕の大学で前例の無かった、大阪市立総合医療センターへの国内留学が実現しました。
形成外科の専門医を申請するにあたって、僕の専門医試験受験時は、現在の基準よりも、項目が細かく分かれており、受験するために提出する書類の基準を満たすために執刀しなければならない手術が、僕のいた大学では、執刀できなかったのです。
奈良県という自治体の考えなのでしょうか、僕のいた公立大学で形成外科は独立した科ではありません。
皮膚科のなかに形成外科チームとして所属しています。
そういった事情もあってか、たとえば生まれつき唇が割れているであるとか、指が六本あるといった、先天的な病気を持つ奈良県の、お子さんの両親は、手術を医療センターなどの大阪の病院で、受けられることが多く、そういった手術は、大学では極端に少なかったのです。
幸い医療センターでは、医者の数は大学と同じですが、手術の数は3倍行っており、僕も多数の手術の執刀を任せていただくことができ、有意義な留学になりました。
前例のない行動を起こすものは、受け入れがたいといった、空気が漂う職場でしたし、もちろん僕の性格に問題があったのでしょう、大学へ帰ってきた僕は、同僚や上司たちから、あまり歓迎されませんでした。
そんな折、形成外科の上司(僕は大学の形成外科医のナンバー2でしたから、一人しかいませんが、、)から、ある手術を受けてくれないか?
と打診されました。
それが、論文に登場する患者さんでした。
壊疽性膿皮症という、傷が、消毒や軟膏を塗っても治らないという難病に対して、皮膚科の先生が手術してほしいと依頼してきたというのです。
しかし、壊疽性膿皮症は、手術しても治らないから、してはいけませんとも本や教科書に書かれていたりする病気です。
続く、、、