・蓮實重康 従七位勳三等瑞寶章 東京府在籍
明治37、栃木縣士族、陸軍歩兵中佐・蓮實鐵太郎二男
昭和15、分家して一家を創立す
昭和5、京都帝國大學文學部哲學科(美學美術史學専攻)卒、同大學院進學
昭和7、東京帝室博物館に入る
昭和12、支那事變に際し陸軍少尉として應召
昭和13、陸軍中尉に任官
昭和16、東京帝室博物館鑑査官
昭和25、文化財保護委員會事務局技官
昭和27、奈良国立博物館學藝課長
昭和30、京都大學文學部に転出、美學美術史第二講座美術史を担当
昭和35、京都大學教授
昭和36、「雪舟等揚―その人間像と作品―」により京都大學から文學博士の學位を取得
昭和37、デンマーク及び独逸ボン大學にて日本美術史を講義し又北歐美術を研究
昭和41、米国ミシガン大學にて日本美術を講義
昭和43、京都大學退官、東海大學文學部教授
著書に『雪舟』、『雪舟等揚論 その人間像と作品』、『弘仁・貞観時代の美術』、『ほほえみの美学』がある
参照・蓮實鐵太郎
http://ameblo.jp/derbaumkuchen/entry-11844864482.html
妻・田鶴子
明治45、内大臣秘書官・小野八千雄二女
雙葉高女卒
参照・小野八千雄
http://ameblo.jp/derbaumkuchen/entry-11844847971.html
長男・重彥(後述)
・蓮實重彥 Commandeur dans l'Ordre des Arts et des Lettres
昭和11、蓮實重康長男
昭和31、東京大学教養学部文科Ⅱ類入学
昭和33、東京大学文学部フランス語フランス文学科進学
昭和35、東京大学大学院人文科学研究科フランス語フランス文学専攻科修士課程進学
昭和37、東京大学大学院人文科学研究科フランス語フランス文学専攻科博士課程進学、フランス政府給費留学生としてフランスに渡る、パリ第四大学文学人文学部博士課程に登録
昭和40、パリ第四大学に博士論文 "La méthode psychologique de Flaubert d'après Madame Bovary"(「ボヴァリー夫人」を通してみたフローベールの心理的方法)を提出し博士の学位を取得
昭和41、東京大学大学院博士課程中退、東京大学文学部助手に着任
昭和49、最初の著作『批評 あるいは仮死の祭典』を刊行
昭和60、季刊映画誌『リュミエール』(全14冊)を個人責任編集により発刊
昭和63、東京大学教養学部教授
平成9、東京大学総長
平成13、退任、東京大学名誉教授
映画批評家、文芸批評家、仏文学者
『表層批評宣言』、『監督 小津安二郎』、『凡庸な芸術家の肖像 マクシム・デュ・カン論』、『小説から遠く離れて』、『映画狂人シリーズ』、『「ボヴァリー夫人」論』等の著書がある
妻・Chantal
ベルギー、画家・Jacques Van Melkebeke 女子
お茶の水女子大学、学習院大学各講師
長男・重臣
昭和42
東京外国語大学モンゴル語学科卒
作曲家