天才作曲家 佐村河内守 46歳 ③
ついに聴力が・・・
上京後、自分の楽曲の売込みを始めた
アルバイトのつなぎがうまくいかずにアパートを追い出され、路上生活を半年間経験したこともあった
この頃、音楽プロデューサーとのやりとり
相手は眉間にシワを寄せ、少し楽譜を眺めたあと・・・・・・・中略
私の話は打ち切られた
「キミ(中略)、管弦楽曲だなんて。音大も出てないようなモグリ作曲家の作品に、大金を払ってオーケストラで録音しようなんてバカなプロデューサーはどこにもいないよ。」
そして
あろうことか、この頃、偏頭痛の発作が始まりました
以下は講談社刊より
耐えられないほどの激痛が襲う発作は高2のころからだった
それが4,5日に1回から次第に間隔が狭まり、ついには1日1回、さらに日に何度も襲われるようになり、外出さえままならぬ日々が続いた
大学病院で精密検査を受けてみるが、脳には異常が認められず、
医師は「原因不明の強度の偏頭痛としか申し上げられないし、特別な薬もありません」
しかし、才能は埋もれたままではいなかった
1997年に公開された映画「秋桜」に続き、ラサール石井さんの初監督作品「六悪党」の音楽も担当
続いて、人気ゲーム「バイオハザード」の音楽のオファーも届いた
立て続けに作品が認められたことが、心身にもいい作用をもたらしたのだろうか
この年、17年間も苦しめられた偏頭痛が嘘のように治まり、それを祝福すかのように大きな仕事が舞い込む
新開発されたプレイステーション2用のソフト「鬼武者」のテーマ音楽と劇中音楽すべての書き下ろしだった
しかし、運命は思いも寄らない試練を佐村河内さんにぶつけてきた
すでに11年も経験した《あの日》のことを、彼は昨日の出来事のように語り始めた
「音がまったく聞こえないと気づいた瞬間、全身からの血の気が引いていくのがわかりました。続いて言葉にできない恐怖が全身を貫きました。この先どうしたらいいのか、作曲ができなくなるのではないか。脳の許容量を超えて思考が完全に停止してしまい、記憶がないまま、私は数時間、部屋に立ち尽くしていました」
全聾となったのは、待望の作品「鬼武者」に取り掛かろうとした直前
締め切りまで3ヶ月しかなかった
絶望に打ち勝つときの糧となったのも音楽だった
自身が音楽室と呼ぶ小さな机だけの部屋で黙々と作曲を続けた
「暗い部屋でじっと瞑想をしていると、分厚い耳鳴りノイズの間から音が降りていこうとするんです。単音であったり、複雑な和音であったりするんですけど。それを、調和が取れていない音がないか、ひとつひとつの音を確認していくんです。そして最終的には、100の楽器のアンサンブルが80分、頭の中で演奏されるんです」
もちろん、膨大な時間を要する作業である
こうして「鬼武者」の曲も完成に至った
全聾になっても曲作りはできる
だが、新たな難問が浮上する
頭の中で生まれる音楽がどんどんスケールを増していくのだ
「こんな長大な曲を書いて、しかも日本人の新譜を誰が取り上げてくれるのかと考え始めました。冷静に考えればほとんど不可能なんですよ」
そんなとき彼を救ったのは、高校時代に出会い、その後結婚した妻だった
「これから、現世で報われない曲を書いていきたいのだが、かまわないか。ただし、死後も、報われる保証もまったくないのだが」
「あなたはそうしたいの?」
彼は即座に答えた
「おれは、使命として、やらなければいけないと思っているんだ」
すると妻はやさしく微笑みながら、指でこう示した
「い・い・よ」
つづく
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