7月27日の日記 おやじは苦しいと言いながらもがき始めた
約2週間ぶりに病院に行った。
病室に入ると、おやじは寝ていた。
おやじは、さらに痩せていて手足が細くなっていた。
3日くらい前から、吐くつばや痰に血が混じり始めたそうで調子がすごく悪そうだった。
おやじはずっと寝たままだったので、しばらくおかんとわたしはベッドの隣のソファーに座ってテレビを見ていた。30分くらいしてナースステーションにおやじと会いたい言って来ている人がいると看護師さんが伝えに来た。
おかんが、会いに行くと京大病院でおやじの前のベッドで入院していたMさんが奥さんと来ていた。
おかんは、おやじを起こしMさんが来ている事を伝えると、会ってみたいという意思を示したのでMさんに病室に入ってもらった。
Mさんは、ガンで胃と食道の一部を摘出していて、抗がん剤治療と放射線治療を受けていたのだが、転移が見つかり詳しくCTで検査するためにこちらのほうに来たとのことであった。
Mさんは言った。
「京大病院では、すごく励ましてもらったり笑わしてもらったりしてお世話になっていたのに、転院する日あっという間に行ってしまって挨拶できなかったんすごく気になってたんでどうしても会って挨拶したくて来たんです。」
おやじは。声を振り絞るようにして言った。
「ここは、病気を治すところやないですけど、静かで落ち着いた環境です。1人1人の話聞いてくれたりすごくいい所ですわ。見た感じだと顔色いいし、治ることを祈ってます。」
来客があった後おやじはしばらく寝たり起きたりを繰り返していた。
わたしは去年おやじが栃木に遊びに来た時、一緒に近所を歩いた際、珍しがって面白がっていたかんぴょう畑の写真を駅に行く途中にデジカメで撮ってきていたのでそれを見せた。
おやじは、その写真を見てほんとうにうれしそうににこりと笑った。
「そうや。そうや。もうこの季節なんやなあ。
かんぴょう畑の横にごぼう畑もあったなあ。」
久しぶりにおやじの笑い顔が見れたのでほんとにうれしかった。
それから、すぐにおやじはまた眠りについた。
1時間くらいたった後、突然おやじは咳込みはじめた。
痰を出そうとしても切れないらしく上半身を必死になって起こし、かすれた声で背中をさすってくれと言った。
わたしは、おやじに言われるがまま背中を円状にさすった。
少し、さすったためか咳がおさまり落ち着いた。
が、しかし、15分ほどするとまた、咳が出始めた。
そして、上半身を起こしたり寝たりを繰り返しもがきだした。
ベッドガードを引っこ抜き、「苦しい。しんどい。息ができひん。」と言いもがきだした。
すぐに、ナースコールを押し、看護師さんに来てもらった。
看護師さんは、落ち着いて気管が通りやすくなり、咳を止める薬が霧状になって入る機械を持ってきておやじの口にあてた。
あててもしんどいと言って口から外してしまい、外すたびに口に戻すと作業を繰り返している内におやじはまた眠りだした。
だんだん、予断を許さない状況になってきている・・・。
人間は、どれほど苦しまないと死んでいけないんだろうか?
死というものが怖くて怖くてたまらなくなってきた。