7月7日の日記 ホスピスに入っているおやじのお見舞いに行った | ガンおやじ

7月7日の日記 ホスピスに入っているおやじのお見舞いに行った

昨日深夜2時くらいまでおかんとわたしは話し合っていたため今日起きたのはAM9時頃。朝ご飯を手早く食べ、おやじの入院しているホスピスに車に乗って行った。


ホスピスは東山のふもとの緑で囲まれた小高い所にあり、静かな場所で、窓からは、京都市内が一望できた。すぐ目の前には、大文字山があり大の字が見えた。

子供の頃、この大文字山におやじと一緒によく登った。

今となっては、そんなに大きくない山だが子供の頃はすごく大きい山に感じた。

登りながら、

「お父さん。まだ、頂上つかへんの?」

「今は、人間の体で言えばまだ膝くらいや。」とか、

「お父さん。今人間の体で言えばどこらへん?」

「今、ちょうどおへその辺りをすぎたところや。もうちょっとがんばり。」とか言いながら登っていたことを思い出す。




ホスピスの病室は全部で20室あり人生の最後を穏やかに迎えようとしている人たちが入院している。



今日は、七夕で談話室には笹の葉にいろいろな願いごとを書いた短冊が飾ってあった。

願い事には、家族の入院している人たちへの思いが書いてあり読んでいると涙が出そうになった。




おやじはナースステーションの真ん前にある部屋に入院していた。


「お見舞に帰ってきたわ。」

「ああ。来たんか。元気か。」

「うん。まあぼちぼちや。」

久しぶりに見た、おやじは体はさらに痩せ、声を出すのも辛そうだった。

おやじはしんどそうに咳をしながら、寝たまま話始めた。

「食道のガンが気管支と肺に転移して悪さしてるみたいなんや。

熱があって、体もだるいし咳も出る。

肺炎になってしまったら致命傷になるかもしれんから注意するようにってお医者さんに言われたわ。

もう、ほんまに最後や。死ぬとしたら肺やと思うわ。普通のしんどさやないわ。

痛いのと苦しいのだけは、勘弁してほしい。

ここの病院は、京大病院より看護師さんが何回も見に来てくれて声かけてくれるしええわ。」



しばらく、とりとめもない話をした後、おかんが話を切り出した。

「まだ、意識もはっきりしててしゃべれるうちに会って置きたい人とかいるか?」

「うーん。こうしてお前らがいてくれるだけで気が安らぐから別にええんやえどなあ。

いつもお世話になってたAさんと大学の頃の研究室の先生と小学校の頃からの友達のBさんとは会って話したいなあ。

後は、特にないなあ。


告別式とかもほんとの身内だけでやる家族葬という形にしてほしい。

お前らの会社の人とかに遠いとこ来てもらう必要はないわ。

お香典も気持ちだけ頂いてすべて辞退する形にしてほしい。

後は、年賀状出してくれてる人にはしばらく時間がたってからはがきで亡くなりましたと知らせてくれたらええ。」


おやじは、ちょっと話したら疲れて寝てしまい、またしばらく時間が立てば起きて話すという感じだった。


「いま、廬山寺の桔梗がきれいやと思うし見てきたらええんとちゃうか。

紫式部の住んでたところなんや。」

「そうやなあ。明日ちょっと時間とって見て来るわ。デジカメで写真撮ってきてみせたるわ。」


ホスピスからの帰り道、おかんとわたしは車で会いたいと言っていたAさん宅に向かった。

Aさんに、現在の病状を説明し会いたがっていると伝えると、会いに行くことを快く引き受けてもらった。

また、会いたいと言っていた人たちの電話し会いにきてもらうことを約束してもらった。


家に帰って、おかんは言った。

「入院したその日に看護師さんから亡くなって病院から出て行くときの着物を用意しておいてくれと言われたんや。

昔よく着てた愛用の着物があって入ってるところはわかってるんやけど、たんすが固くて開かないし開けて欲しいんや。」

「うん。開けてみるわ。」

たんすは固くてなかなか開かなかったが、少しづつ引っ張ると隙間が出来たのでそこから着物を引っ張り出した。

「家紋が入ったすごくいいやつやけど、他に着る人いないしこれでええんとちゃうかなあ。」

「うん。そうやなあ。」


こんなものを準備するときがこんなに早く来るなんて・・


すべてが悪い夢だったらいいのに。