カダフィ大佐は1969年にクーデーターで政権を獲得して以来、41年間最高指導者の地位にある。41年という年月は長い。恐怖と暴力だけでこれだけの期間、国民を抑えつけられるわけではなかろう。それ以外にもカダフィを長とする現代リビアを支える要因があるのだろうか。

現代リビアは歴史的に大きく3つの地域に分けることができる。一つはトリポリタニア。リビアの北西部、首都トリポリを中心とした地中海沿岸地域である。二つ目はキレナイカ。リビア北東部の沿岸にあるベンガジを中心に、南へ内陸に延びる地域である。そして三つ目がフェザーン。トリポリタニアの南、キレナイカの西方に広がる砂漠地帯にある内陸地域である。

リビアの人口のほとんどは地中海岸に点在する都市に居住している。 トリポリタニアとキレナイカはそれぞれ異なる歴史を持つ。その起源はバヌ・ヒラル、バヌ・サリムという部族がそれぞれの地に腰を落ち着けた11世紀にまで遡ることができる。キレナイカは歴史的にエジプトをはじめとするイスラム東世界を向いており、トリポリタニアはマグレブなどイスラム西世界に目を向けていた。またキレナイカは近代リビアの祖であるイドリス王の地元である。イドリスは1842年にアル・バイダ(Al Bayda)で樹立したサヌージ王朝の流れを汲んでおり、キレナイカの一種の独立した気分は現在も息づいている。反政府運動のシンボルとして当時の王政の旗が用いられたのはそのような理由もある。

リビアには140もの部族があると言われている。そのうち有力部族と言われているのは30ほどある。 そのうちいくつかを紹介する。

トリポリタニアの主要部族
カダフィ部族
シルトの40キロほど南に拠点を持つカダフィ大佐の出身部族。6つの小部族に別れて、トリポリとベンガジの両都市にも多少の影響力を有する。それほど人口が多くないため、歴史的に大勢力であったことはない。特に王政期においてはほとんど力がなかった。現代リビアにおいては、陸軍に特に強い影響力を有するほか、警察組織、地域司令官、ボディガードなどはほとんどがカダフィ部族出身者である。しかしそれほど大きな部族ではないため、他部族へも協力を得なければならなかった。41年間の権力基盤はリビアで大きな勢力を有するワルファラー部族とマガリハ部族との同盟関係に裏打ちされていた。いずれの部族もリビア北西部に拠点を持つ。

ワルファラー部族
リビア最大の部族。人口の約6分の1、100万人が属する。カダフィ族とは血縁関係にあり、41年間カダフィ大佐を支えてきた。しかし関係がずっと良好であったわけでなく、例えば1993年10月のクーデター未遂事件の酒販はワルファラー部族の将校55名が企てた。未遂事件後の処罰でカダフィはワルファラー部族からの不興を買ったこともあった。今回もワルファラー部族の長老会がカダフィと息子、カダフィ部族を非難する声明を2月20日に出している。 バニ・ワリッド部族 ワルファラー族と居住地域は重なるところもあるが、影響力を最も強く有するのはトリポリの東の都市ミスラタ周辺である。ミスラタでのデモ鎮圧に傭兵部隊が強硬手段にでたことから、この部族は反カダフィである。

タルフナ部族
トリポリで影響力を持つ部族。約35万人と言われているが、正確な数字は不明でとあり、もっと大きな数字を使う場合もある。多くがリビア国軍密接な関係を持つが、反カダフィのデモにも参加している。

ゼンタン部族
トリポリの南西100キロ、チュニジア国境近くの都市、ナルートとゼンタン周辺に拠点を持つ。リビア国軍に従軍しているものが多いが、反カダフィの側に立っている。2月16日以来、治安部隊と衝突が繰り返されているとの情報があるが、詳細は不明である。

キレナイカの主要部族
ズワヤ部族
有力部族の一つ。石油精製施設のあるしドラ湾や油田地帯を含むキレナイカ全域に居住しているがゆえに影響力は大きい。ワルファラー部族と同様、反カダフィの気色を鮮明にしている有力部族である。ズワヤ族の族長は2月20日のアルジャジーラへのインタビューで24時間以内にデモ参加者への攻撃を止めなければ、石油の輸出を止めるとの最終通告を出した。しかし実行した形跡はない。 サリール(Sarir)、メスラ(Messla),アキラ(Auila)油田を支配下においていると伝えられており、石油関係の施設を守っていると言われている。ウィキリークスの情報によると1980年代のチャドとの国境紛争の際に提供された猟銃、自動ライフルなど装備は限られてはいるものの、重装備であると伝えられている。

ミストラ部族
リビア東部で最大の部族と言われているが、実数は不明である。多くがベンガジ、ダルナー(Darnah)に居住する。 Al Awaqir部族 アル・バイダに多く居住。今回の反政府運動が始まった町である。

Al Awaqir部族
トルコとイタリアの植民地主義と戦ったことで有名な部族であり、王政時代、カダフィ時代においても重要な地位にあった。 Obeidat部族 北東の端、トブルクに拠点を持つ部族。トブルク地区のスレイマン司令官と元内務大臣のアブデル・ファタ・ユーニス氏はともにObeidat部族出身だが、反カダフィ派に寝返った。

フェザーン地域の主要部族
マガリハ部族
リビア第二の勢力を持つ部族。カダフィが常に味方として引き入れていた部族である。拠点はフェザーン地域であるが、トリポリほか沿岸部の都市に居住している。マガリハ部族で最も有力な人物はアブドラ・アル・サヌーシ大佐である。Jamahiriya Security Organizationという治安部隊の長である。パンアメリカン航空機爆破事件の犯人を雇用していた組織でもある。アル・サヌーシは、カダフィの第二夫人の妹に嫁いでおり、100名余りの囚人を惨殺した1996年のアブ・サリーム刑務所事件の指揮官であった。アル・サヌーシはカダフィ側にたっており、ミスラタの弾圧に関してバニ・ワリッド部族から批判を受けている。ただしマガリハ族にも反カダフィ側につくものもいる。そのうち最も有力なのはAbdel Salam Jalloudである。JalloudはAl-Sanussiの親戚でカダフィの元クラスメートである。また1969年のクーデターの際の革命司令委員会の12人のメンバーのひとりである。1970年代には5年間首相の地位にあり、一時期はNo.2の座にあるとも言われた人物である。しかし1993年のクーデター未遂事件以降、その関与を疑われ、1995年に指導部から追放されている。Jallloudはその後もマガリハ族で影響力を有している。マガリハは部族としてどのような立場に立つかは不明である。

その他の部族
Tuaregs部族
フェザーン地域は人口密度も月20日には低く、沿岸部の動向にはほとんど影響がない。ただしtuaregs部族は石油・天然ガスのパイプラインへの攻撃を行う能力があることから、多少の影響があると言える。Tuaregs族は遊牧民族でサハラ・サヘル地域に居住している。ベルベル人であることから沿岸部に住むアラブ人とは歴史も文化も大きく異なる。基本的には小集団にとどまり、南西部を遊牧地としている。ガダミスやGhadaオアシス辺り。 Tuaregsはワルファラー族やズワヤ族の呼びかけに応じて、カダフィの退陣を要求した。2月20日にはGhat yaUbaryで治安部隊との衝突も起きている。アルジェリア国境近くのワハ天然ガス油田及びエレファント油田の近くに住んでいる。石油会社の本部を則ったという情報もある。

キレナイカのその他部族
Toubou部族
他部族と大きく異なるのは肌の色である。砂漠の厳しい気候の地に居住しており、南西部のTibesti山脈辺りのチャド国境にとAl Kufrahオアシス辺りが居住地である。ToubouもTuaregsと同じく石油関連施設への攻撃可能性があるという点において影響力を及ぼしうる。親カダフィ派とされているが、カネ次第という側面もあり、2月20日にはカダフィ政権を批判する声明を出している。 リビア東部はトリポリの支配下にはすでにない。しかしこれは歴史的にはそれほど珍しいことではない。東部の部族はサヌーシの末裔という気分がある。トリポリではカダフィが依然として支配をしている。ワルファラー部族の支持を失ったため、カダフィ部族に頼っているのが現状で、マガリハ部族の一部などにも期待をしている。 トリポリタニアの支配者にとっていつの時代でも統治が困難な地域であった。トリポリタニアの中心トリポリとキレナイカの中心ベンガジの間は数百キロの砂漠地帯である。 キレナイカでは2月中旬に反政府勢力の活動が始まった。