日本語は難易度の高い言語である。その原因の一つはひらがな、カタカナに加えて無限とも言える数の漢字を用いているからである。常用漢字はその弊害を除くために、学校教育で学ばなければならない漢字の数を制限している。にもかかわらず、このほど常用漢字の数が増えた。これがなにをもたらすか。

まず常用漢字が増えると漢字を読めるが書けない人が増える。そうなると漢字を書くのはエリートで、大衆は読めればいいということになりかねない。また漢字の数が多ければ、豊かな表現が可能であるともいうが、例えば「怪しい」と「妖しい」で異なるニュアンスを書き分けても、それが語彙の豊かさにつながるのだろうか。本来なら「あやしい」に代わる耳で聞いて違いの分かる話し言葉を創造すべきだろう。

それ以前に同じ「とる」でも取る、採る、捕る、撮る、執るなど意味によって書き分けるのは容易でない。12年間の学校教育でも覚えきれず、生涯をかけてまで学び続けなければならない文字や表記体系が存在するのは異常であると言える。 この国際化、情報化の時代にあっては、日本語は日本人だけのものではない。すでにインドネシアやフィリピンから介護福祉士や看護師が来日し、言語獲得にかない苦労を強いている。

また複雑で画数の多い漢字は弱視者にも不便で、機械でも読み取りにくい。字種や異体文字の多い漢字は情報処理に膨大なコストと手間がかかる。情報処理の負荷が英語に比べ異常に大きい日本語の無制限な漢字利用を放置すれば、ゆくゆくは使い勝手の悪い日本語が見向きもされなくなり、英語が公用語になる可能性すらある。







という記事が、朝日新聞に出ていた。この主張に一つも賛同できないが、関心があれば早大名誉教授で日本語学会前会長の野村雅昭教授へのインタビュー記事「常用漢字を増やすな・日本語が滅びる」をご参照いただきたい。