沖縄の興南高校が連覇という離れ技をやったことで無性に沖縄に帰りたくなって受話器を握りました。案の定、友人その1は早速祝勝会とやらに出払っていました。その2も奥さんが出て気の毒そうに”5分まえまでいたんですがねえ、たった今、息子と出て行きました”といいます。今度はお世話になった方に電話をしましたがお出になりません。偶然でしょうがここも祝勝会では、と思い、ながら友人その2に掛けなおして”明後日ウチナーに帰ってみんなと乾杯したいのですが”と奥さんに打診しましたら”すこし考えて”明日はみんなでお盆を迎えますが明後日なら大丈夫だと思いま
す”という答えを真に受けて宿を押さえました。空港に行きましたらやたら沖縄行きが混んでいます。なぜだろうと思いながらカウンターに行きましたらお盆のシーズンだったんですね。ですから、混んでいたんです。

 沖縄は中国と同じ旧盆なんです。空港でひさしぶりに友人が迎えてくれて、まずお世話になった方に線香を、あげさせていただきました。急襲したものですから中学生のお孫さんが迎えてくれました。手をあわせてしばらくぶりの恩師の写真を見詰めながら復帰前後の沖縄に思いを馳せながら思い出話をと思いましたがお孫さんではどうにもなりませんので当時の社屋を通過して縁の薄い新しい会社に顔を出しましたが、もう40年にもなろうかという古い社員はふたりが健在でしたが退職も秒読みだといっていました。

 確実に沖縄が遠くへ去っていくような感傷に襲われました。とりあえず宿にはいってテレビを点けましたら、「興南高校特集」のオンパレードでした。新聞は異例の号外が出るわ、飲み放題のキャンペーンで街中は興南ブームに沸きたっていました。で、ひと息いれて仲間のまつ居酒屋に直行しました。ひさしぶりの再会は徹底的に興南高校というか沖縄野球を極める会という雰囲気で満ち満ちていました。

 まず、何度目なのか知りませんが一堂がビールや泡盛を片手に腹の底から”乾杯!”と大声で発声。賑やかにスタートしました。豚のアシティビテイやゴーヤなど沖縄料理がところ狭しと並びます。悪友の友だちという店主も加わって沖縄野球の話に花が咲きます。復帰してから宮崎との予選ではいつのも大敗していたこと。節目の記念大会でしか甲子園には出場できなかったことなど口惜しい話が終わったら今日のメーンテーマである興南高校の連覇に話がすすみましたら店の親父が”そういえば県予選のまえに我喜屋監督が店にきてね、本土の大会に出るまえの県予選が大変さ、といっていたよ”と秘話を披露したそうです。

 さらに春の大会の対策として氷詰めのバケツに感覚がなくなるまで手をいれて寒さを身につけさせたり夏はユニフォームの下にカッパを着せて極限を極めさせたり、
マナー教育も半端じゃない”とまるでみてきたような口調で話していました。あたしゃ店にきて勘定はどうしたのか気になって仕方がありませんでした。アッそれから沖縄が高校野球のメッカになった秘訣はプロ野球のキャンプがふえてきたことをあげていました。

     興南高校の戦勝報告は母校、県庁、市庁、マスコミ関連と
            延々と続いていました ワチャ 大変さあ    大串拝