ブログネタ:受験の思い出 参加中
いよいよ、明日は、関西の中学入試の幕開けです。
地方の私立中学の大阪入試はすでに始まっているけれど、
関西の学校は明日からスタート。
受験生のみなさん、今日はどのようにすごしているのかな。
来年はいよいよくーちゃんの番かと思うと、なんかドキドキするよ。
明日は雪は大丈夫そうだから、よかったよね。
さて、*cherry*、受験といえば、中学受験しか経験していません。
というわけで、中学受験の思いで。
*cherry*は、2歳年上の姉がすでに私立中学へ入学していたので、
自分も絶対そこへ行くと信じてた。
でも、入試が近付くにつれ、もしも、落ちたらどうしよ~という気持ちが膨れ、
とっても不安だった覚えがある。
というのも、当時、中学入試日は3月1日。
小学校も卒業を控え、クラスでサイン帳とかまわしていた。
そのサイン帳に、クラスのほとんどのお友達が、
「中学は別々になるからさびしいよ」
みたいなことを書いてくれていた。
当時は、今みたいに何校も受けれるような日程ではなく、
せいぜい、滑り止めに1校受けれる程度。
しかも、*cherry*が滑り止めに受験予定だった学校は、
3月1日入試の合格発表後の試験日だったので、
阪神間の上位層残念組受験が集中する学校。
おまけに、2次募集なので、募集人数も少ないし。
というわけで、この滑り止め、かなりの倍率が予想されていた。
当時の中学入試の倍率は、3月1日入試の学校で3~4倍だったので、
それを大幅に上回る倍率だったと思う。
こんな状況だから、第一志望を失敗したら、
かなりの確率で地元公立中学へ進学することが予想されていた。
倍率も高かったので(実際、第一志望校の倍率は3.5倍だった)失敗して、
公立へ進学することも十分考えられたのに、
みんな、中学受験をする=絶対合格して私立へ行く
と勝手に思っていた。
だから、それが余計にプレッシャーだった。
なんか、間際になってくると、
落ちたら恥ずかしいって気持ちが勝ってた気がするな~。
あと、滑り止めの学校の2次試験日が、小学校の茶話会の日だったので、
休むの嫌だ~って思ってた…
入試当日は、姉の文化祭などで、何度か校舎内にも入ったことがあったので、
(当時は、オープンキャンパスや文化祭を受験生へ公開するなんていうイベントはなかった)
なんとなくリラックスして受けることができた。
問題も、手も足も出ないような問題はなかった。
実は、算数の年齢算と時計算が直前まで大の苦手だったので、
この2つがでたら、もうあきらめようと思っていた。
でも、幸い、この2つも出なかった。
翌日は面接。
この面接は、たまたまお目にかかったことのある先生(多分姉の担任?)が
いらっしゃったので、さらにリラックス。
準備していた受け答えとは全然違う答え方をした覚えが…
出来栄えとしては、大丈夫だろうって感じの出来栄えだったんだけど、
やっぱり不安。
そして、3月5日の合格発表、もう、心臓バクバクだったよ。
でも、合格がわかった時のあのうれしさ、
今でも忘れられない。
あ~、くーちゃんにも、あの喜びを体験してほしいな~。
1年後、どんな一日を過ごしているんだろう・・・