星組東宝まで1週間切りましたね!ということで、予習復習反復横飛びを兼ねて
宝塚ver『ロミオとジュリエット』について疑問に思ったことを、原作・史実を織り交ぜながら
自己解決してみました(あくまで私の解釈なのでご了承ください)
と言うのも、初演から「なんでこんな行動とるの?」とか「なんでこんな歌詞なん?」って思うことが多々あり、
(「ティボ~ルト、俺は、ティボルト」わかっとるがなとかw)
初星~星ABとみて、やっと腑に落ちたというか自分なりに答えを見つけることが出来たので
(ちなみに演じ手によって観る側の受け取り方や演者の解釈も変わってきたりしますが、
「ウィードさん○○は誰それ思い浮かべながら書いてるんだな~」と思っていただければww)
まず、物語根底の問題。【何故、赤家と青家は血で血を洗う争いを続けていたのか】
“争いがなかったら物語が終わってしまうから”は、置いといて(笑)最初は“両家ではるか昔に
いざこざがあって、理由は風化して分からなくなってしまったものの憎しみだけ残ってしまい未だに
争ってる”なんて簡単に考えていたのですが、どうやら問題はもっと根深いところにあったようで。
『ロミジュリ』はシェークスピアの創作と思われがちですが、実はダンテ『神曲』に書かれた
“モンテッキとカッペレッティ”の争いが元とされてます(もっと遡れば伝承物語があるそうですが)
ここで世界史の話になってしまうのですが、当時ヨーロッパでは神聖ローマ皇帝(のちにハプスブルク家)
ローマ教皇の政治闘争から端を発し、其々を支持するもの達で都市間、或いは都市内部で熾烈な争いが
繰り広げられてました。この支持ってのも自己の権力を確立するために後押しが欲しい大人の事情から、
「対立勢力がそっち支持するなら俺こっち~」みたいな子供の理論まで
このモンチッチモンテッキとカッペも皇帝派・教皇派に分かれており、またヴェローナの主権が
皇帝派→教皇派→皇帝派と移り変わってることから、そりゃ血を見るわけですよ
主権派の青家が余裕があって気楽に見え、赤家が心無しかピリピリしてるのも分かる気がします。
いつ爆発してもおかしくない状態で、奇しくも長年かろうじて保たれた均衡から火をつけてしまったのは
“二人の結婚”であり、消えることはない火を消す奇跡を起こしたのも“二人の死”という
ここで「あれ?大公は皇帝派?」とも思ってしまいますし、史実ではこの頃ヴェローナを治めていた家は
皇帝派です。ですが『ロミジュリ』の世界では大公は中立。でも、よく考えたら大公閣下が皇帝派と
言わないまでも繋がりを示す人物がいます。そう、甥のマーキューシオ!
マーについてはまた後ほど述べるとして、青家に肩入れしてもよさそうな大公ですが、そうしないのが
治めるものとしての賢さであり、したたかなところ。赤家を含め教皇派も力は強大で無視できないし、
何よりどちらかに傾くことによって皇帝あるいは教皇に内部干渉を受ける隙を与えてしまう。
仏verでは自分の権力を守るために、宝塚verではヴェローナの自治と民の安全を守るために
中立の立場をまもらなけらばならなかったんでしょうね。
もう一人の中立の立場パリス伯爵。ですが、実は大公の親戚なんだとか!赤家がパリスに近づいたのは、
お金だけじゃない気もしますね。一方パリス側からこの結婚をみると中々面白くて正直、パリス側には
何も得るものがないんですよね!大公の親戚なら赤家の権力なんて必要ないだろうし、そもそも
ヴェローナ一の金持ちなわけだから。ジュリエットとの結婚はこの時代には珍しく何ら政略的なものは無し。
敢えて得るものを挙げるとすれば“ジュリエット”そう、パリスは本当にジュリエットを愛してた。ああ見えて(笑)
原作&一部の国のミュージカル版では、ジュリエットの死を嘆き霊廟に赴いたところロミオと鉢合わせ。
ジュリの死がロミオのせいと思いこんでるパリスはロミオに襲い掛かり、あえなく返り討ちに
ジュリエットの隣に亡骸を横たえることとなります・・・切ないあんなんだけど(笑)
宝塚verではジュリの死を嘆き心に想いを秘めながらも、他の女性と幸せになって欲しいな~なんて。
でないと、霊廟のシーンでロミオとジュリの間にパリスが川の字に並ぶこととなり、相当シュールに
神父様もとりあえずビックリですよね!そして天国のデュエットにはもれなくパリスも一緒に踊るというww
神父さまと言えば、先ほどの話で行くと教皇派じゃないの~ってなりますが・・・神父様はお人柄が良くて、
争いとかも好まずどちらとも慈愛の手を差し伸べる素晴らしい人なんだYO!ってことで(笑)
なんか背景説明だけで終わってしまった・・・続く