今日、2月19日、外出の折、立ち寄りました(^^)
武屋敷は、西郷が朝鮮への使節派遣の考えに反対されて明6(1873)年鹿児島に帰ってから、明治10(1877)年西南戦争が起こるまでの4年間を暮らしたところだそうです。
ここでの西郷の暮らしは、晴耕雨読の生活で、吉野や西別府で農耕に励みながら、県内のあちらこちらで狩猟や湯治を楽しむなど、″武村の吉″として悠々自適の生活を送ったそうです。
今日、外出した折に、立ち寄ってみましたが、梅の花々が綺麗に咲いていました。
「西郷隆盛と庄内出身の菅実秀(すげ・さねひで)の会見の像」があります。
菅実秀とは。。。
明治元年戊辰戦争が勃発するや軍事掛に任ぜられ、家老松平親懐を助けて庄内藩の指導に当たり、降伏後は戦後処理に敏腕を振るう。このとき西郷隆盛の厚遇で藩の危機がすくわれたため、以後西郷に師事し鹿児島藩の諸政策を参考にした。明治2年中老に任ぜられ、明治3年大泉藩(改称)の権大参事となった。明治4年、西郷隆盛と初めて東京で会う。酒田県が成立すると大参事。ワッパ騒動により引責辞任。西南戦争後、「南洲翁遺訓」を刊行。