いのちの狭間。 | 父と家族の末期がん闘病記

父と家族の末期がん闘病記

2012年6月末、当時65歳だった父が突然、末期の食道小細胞がんとの診断を受けました。
現実と向かい合うため、父との日々を忘れないための記録ブログです。


自分のための記録として書き記しているこのブログですが、アクセス解析を確認してみると、思いの外多くの方に読んで頂いていることに驚きを隠せません。


きっと私と同じように、闘病中の身内がいらっしゃる方が多いのでしょう。

今読んでくださっている方を" 闘病中の身内のいる方 "と仮定しても、性別や年齢、住んでいる場所、職業や所属なども千差万別だと思います。

それぞれがそれぞれの事情を抱え、現実と向かい合っていることと想像します。


その中の1ケースである私。


私は子供のいない専業主婦です。
自由な時間は沢山あるので、実家のことを気に掛ける余裕が沢山あると思われるでしょう。

 「 毎日一体何をして過ごしてるの? 」

と聞かれることも良くあります。

 子供のいない専業主婦=暇

としか思われていないのでしょうね。。
父の闘病を知る親戚の一部からは、「 ちょくちょく実家に帰れるね 」と言われます。


確かに、相対的には時間の余裕はあることは否定はしません。

でも、だからと言ってちょくちょく実家に帰れるわけではないのです。

神奈川 - 大分 間の移動は飛行機になるので、お金も掛かれば日帰りと言う訳にはいきません。
折角お金を掛けて帰省するなら、最低2泊は滞在したいと思ってしまいます。
" 父が闘病中なので "という印籠があるとしても、車で片道2時間の距離に住む義実家よりも頻繁に帰るというのも躊躇心が働きます。


何より・・・

結婚して3年ちょい。
未だ両親に孫の顔を見せてあげることが出来ていない現実。

父の病状が小康状態である中、私が無理をして帰省することよりも、子供を授かることが出来たという報告の方がきっと、父に未来への希望を抱いてもらうことが出来ると思うのです。


なので、頻繁に帰省することよりも、早く子供を授かる日を夢見て不妊治療に比重を置きたい。


不妊治療は、場合によって毎日の通院が必要です。
エコーによる卵胞チェックで、いつ排卵するか分からないタイミングを予測したり、ホルモン補充のための注射を連日打ったり、細やかな通院が欠かせないのです。

卵胞の育ち具合や排卵日は自分でびしっとコントロールできるものでは無いので、必然的に予定が立てにくくなります。
薬の副作用でヒキコモリになるほど体調が不安定になることもあれば、処置後に絶対安静を促されることもあります。
ひょっとすると妊娠するかもしれない・・・と淡い期待を抱くと、飛行機の予約は勿論、旅行予定を立てることもままなりません。

こういう事情は、不妊治療をしている人でなければ分からないことでしょう。


一方、不妊治療をしていると、世の中にはこんなにも不妊で悩んでいるご夫婦が多いものかと、我が身のことながらびっくりします。

今のこの少子化社会が不景気からの煽り( 子供を作りたがらない )というものだけではなく、結婚の高齢化 = 不妊の増加( 子供が欲しくても授からない ) が原因である割合の方が多いのではないでしょうか?


ちなみな、今やメジャーとなってしまったガン治療には保険が適用されます。
高額療養費制度により、大幅に治療費の負担が軽減されます。

しかし、不妊治療は完全保険適用外です。
治療費の助成制度はありますが、高額療養費制度に比べたら微々たるもの。。
それにも年収制限があり、我が家は助成を受けることも出来ません。


授かるか授からないのか、授かるとしてもいつ授かるのかも分からない。
故に、いつまでこの経済負担が掛かるのか分からない。
真っ暗なトンネルの中で出口を手探りで彷徨うようなこの苦しみは、血縁関係があってもなかなか言えない悩みでもあり( 少なくとも親以外には言えない )、人知れず悩み苦しみながら治療に励んでいるのです。


不妊治療に掛かる費用の平均は、体外受精の場合に1回(1周期)約50万円。
また、高額な治療費負担を理由に、不妊治療を諦めざるを得ない方も沢山いるのも現実です。
中には1000万円以上のお金を掛けても子宝に恵まれず、治療を断念した方も珍しくありません。


父の様に命のともしびを守る苦しみと、私のように命のともしびを生み出す苦しみ。

いのちの狭間には、本当に色々な苦しみが伴うものです。


だからこそ、いのちとは尊いものなのだとつくづく実感します。




父の闘病とは関係の無い内容になってしまいましたが、現状を書くことで少し自分の気持ちが軽くなる気がします。
吐きだしたくても、現実には吐きだすことの出来ないことなので・・・


それでも私には明日がある。
頑張るべき明日がある。

自分のいのちに感謝して、いのちのために今後も頑張ります。