子を想う親の気持ち。 | 父と家族の末期がん闘病記

父と家族の末期がん闘病記

2012年6月末、当時65歳だった父が突然、末期の食道小細胞がんとの診断を受けました。
現実と向かい合うため、父との日々を忘れないための記録ブログです。


10月末、施設に入っている父の母(私にとっての祖母)に、両親と3人で会いに行ってきました。



抗がん剤治療中はいつも、副作用の残る体調もいとわずに

 「 お袋が心配するから、早く会いに行かないと 」

と、退院するや否や行っていたのですが、今回は退院後でもなく・・・


父が自分の体調の悪化を自覚し、もう先は長くないと考えての訪問です。



車で片道2時間半の道のり。

運転する体力も殆どなくなってしまった父に代わり、私が運転していきました。



着くなり横たわる父の様子に、祖母は瞬間的にいつもと違うと感じた様で、最初から涙・涙・涙。
見ている私も胸が締め付けられる想いでした。



自分より先に、わが子を亡くす親の悲しみはいかほどのものか。


それが、90歳に近い老体の祖母にとって、どれほどに辛いことなのか。


娘である私にも計り知れない痛みでしょう。。。



祖母は何度も何度も、


 「 私が変わってあげられれば、どんなに良いか! 」

 「 あまりにも辛い現実に、早くボケたいと思ってしまうよ。

  ボケたくてもボケられなくて、辛いよ。。。 」


と悲痛な本音をこぼし、祈りをささげるように


 「 奇跡よ起これ!奇跡よ起これ! 」


と、父の頭や胸をさすっていました。



子を思う親心を目の前にして、私の両親もこんな気持ちで私を育ててくれたのだと思うと、本当にいただまれなくなり、涙を堪えることができませんでした。





それから1週間。


更に体調の不良を訴え、今日から抗がん剤(セカンドラインのタキソール)治療を予定している父が私に
 「 退院したら、また祖母のところに連れて行ってくれよ。 」

と。



正直、ペーパードライバー歴11年を経て、先月運転を再開したばかりの私には、高速を伴う片道2時間半の道のりはまだまだ厳しいものがあります。

だけどこの1ヶ月間、父が体力の限りを尽くして私に運転の練習をしてくれたこともあり、父への恩返しの意味も含めて、なんとしてでも父を祖母のもとに連れて行ってあげなければ。



お父さん、私が連れて行ってあげるからね。