物凄く久しぶりの更新です。


先日、東日本大震災の被災地のデパートに行き、

お話を聞いてきました。


日本百貨店協会の会報誌に掲載しましたが、

自分自身の記録の為に、こちらにしも記しておきます。


1.水戸京成百貨店

あの忌わしい東日本大震災から3か月が経とうとしています。

今もなお、人の心や、暮らし、美しい風景への深い傷は消えません。前回は、東北地方のデパートに訪れた思い出ついて記しましたが、今、被災地のデパートはどのようにあの記憶を刻み、前を向いて歩いているのかを知りたくなりました。テレビや新聞でもあまりお店の様子を知る事は出来ませんでした。

5月下旬、取材行ってきました。まずは、茨城県水戸市・水戸京成百貨店。

快く取材に応じてくださったのは、副本店長の橋本人志さん、営業政策部課長の菅谷毅展さん、堀口昌弘さん。

3月11日14時46分。水戸市は震度6弱だった。揺れは猛烈に激しく、エスカレーターが大蛇のように揺れて目を疑ったという声もあった。

当日館内には1000人ほどいたが、従業員は揺れながらも、お客さんを抱きしめ、一生懸命落ち着かせながら各階の安全な場所に避難をしたという。

エスカレーターは破損した。しかし、耐震構造のため、連絡通路が破損した以外は建物に大きな損傷はなかったという。今も水戸京成の店内は震災前と何も変わらない。

地震から2時間後には、建物の外へ全員避難する事になった。しかし、東京から来たお客さんなど、帰宅困難なお客さんがいた。そこで、「安全な京成で一晩お過ごしください」と、館内に宿泊させる寛大な対応をとった。寝具売り場から値札のついた布団を出し、食料品売り場の食材を非常食として提供した。水戸市は停電していたが、自家発電装置があるので、暗闇の水戸市の中で、煌々と明かりがつき、市民は「まるでオアシスのようだ」と、安心したという。

夜、不安そうな女子中学生がドアを叩いて現れた。聞くと、何キロも離れた市内郊外のショッピングモールで地震に遭い、帰宅できず、とにかく不安で市街地まで歩いてきたら、水戸京成だけ電気がついていたので、気になってドアを叩いたそうだ。

その女子中学生を店内に入れ、食材を与え、店内に宿泊させた。

後日、その女子中学生のお母さまが来店し、「娘を助けていただきありがとうございました」と、お礼を述べられたそうである。震災の中でもデパートとお客さんにはかたい絆が結ばれた。

 3月12日には、食料品を、すべて100円、200円均一で玄関前で販売し、

口コミで市民が殺到。長蛇の列が出来た。当日はコンビニもスーパーも開店していなかった。お客さんは店員の手を握って、「ありがとう」「安心した」と感想を述べた。

 全面開店しても、エスカレーターの復旧には時間がかかった。お客さんは階段で売り場に移動する事になったが、苦情よりも「運動になるからいいわ」と、

庇う意見ばかりだった。橋本さんは「デパートに勤めていて本当に良かった」と

実感するという。また、13日には食品売り場と学生服販売を営業再開。学生服の販売の際は、ライフラインが無い中で、同世代の子を持つ母親たちが集う事となり、

「デパートが安否確認の場所になった」という声もあったという。

橋本さんは言う。「非常事態でも、常に地域の為に役割を果たすにはどうしたらいいかを優先したんです」と。

水戸市民の為に水戸京成がどうであるかを考えた結果は、お客さん、店員さんも大きなけがをした人はほとんどいなかった。そして、お客さんとの絆が生まれたのだ。

.うすい百貨店

翌日私は、いわき市を経由し、福島県郡山市へ入り、うすい百貨店を訪れた。

東北最大級の売り場面積を誇り、福島県民なら皆「うすいのテーマ」を歌えるほど、郷土に親しまれているデパートである。

郡山市内は、地震によってできた段差が至るところにあり、建物も崩壊したままのものが多くあった。駅前の商業ビルも未だ営業再開していない模様。

しかし、うすいは元気に営業していた。

対応して下さったのは、平城大二郎代表取締役社長。いささか緊張しながら応接室へ入りご挨拶。すると社長、おもむろに「ではこの歌を聞いていただきましょう!」と、「うすいのテーマ」歌・いしだあゆみ、曲・いずみたく、曲・山上路夫(作詞作曲、由紀さおり「夜明けのスキャット」を産んだゴールデンコンビ)をかけてくださり、緊張がほぐれた。社長ありがとうございます。

郡山市は震度6弱。店内は大きく揺れたが、従業員はとにかくお客さんを落ち着かせて、1人もけが人が無く避難させた。しかし、うすいの正面に建つ別のビルが崩壊し、落下外でけがした人がいたため、救急車を手配し、搬送された。

お客さん避難後、帰宅困難な従業員は社員食堂に退避し、一夜を過ごしたという。

13日には食料品と1階にて生活用品の販売をし、営業再開。開店前から300人が列をなした。当日、水戸市同様、コンビニやスーパーは営業していなかったが、取引先がうすいへ優先的に商品を送り込み、豊富な食材を用意する事になったという。お客さんからは「ほっとした」という安心感、「さすがうすいです」という声もあった。全面開業は26日となったが、それまでは従業員通勤手段が大変だった。ガソリンを給油するのもままならない状況。相乗りして通勤したという。

 再開当日は化粧品、書籍、玩具の売り上げが好調だったという。また、お見舞いのお返し品も殺到した。

 しかし、福島県内は目に見えない恐怖、原発問題を抱えている。放射能を除ける為、長袖の服、帽子、レインコートも売れるという。平城社長も、洗濯物は室外に干せないし、窓も開けられない生活を送っているという。従業員入口では、放射線量が計測され、社員が把握できるようにしている。屋外駐車場の係員はスクーリングも行い、長袖を着用するようにしている。今後は、ガイガーカウンターにて放射線量を測定し、従業員・お客さんの安全を徹底的に管理していく。

社長が今回の震災で得たものがあるという。一つは、無駄がわかった事。ダブルクロスエスカレーターを節電の為に停止していても売り上げが下がらなかった。照明など、いかに過剰投資しているかが分かった。二つ目は、団結力が増した。この災難に対し、社員が一致団結し、お客さんに信頼を産んだ。3つ目は、郡山の皆さんが本当にうすいが好きだという事がわかったという。この日、催事場では「うつくしまふくしまの物産展」が大盛況。店内には、猪苗代湖ズの「I love you I need you ふくしま」がエンドレスで流れていた。次回は福島市、仙台市を訪問し、デパートの声を聴きます。