いち大学生のブログ

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現代版徒然草

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明日から2日間センター試験。浪人時代を思い出す。

友人が「センター試験の外国語に韓国語があるのはおかしい。在日特権だ」と憤慨していた。
センター試験の外国語選択科目に韓国語があるのは、自民党の城内実という人が、外務省アジア太平洋州局北東アジア課に所属していたときに尽力しからだそうだ(cf. https://www.m-kiuchi.com/2010/01/13/chihousannseikennmondai/)。政府統計によると、在日韓国・朝鮮人の人口は約52万人。在日中国人が約65万人。在日外国人が全体で約207万。(cf. http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001118467)

センター試験の外国語について。公式サイト(http://www.dnc.ac.jp/data/suii/h24.html)によると、平成26年では
(1)受験者数は(人数)
 英:525,217
 独:147
 仏:134
 中:449
 韓:161
英語以外の受験者数は英語に比べて少ない。

(2)平均点は(100点満点換算)
 英:59.43
 独:77.68
 仏:77.85
 中:74.04
 韓:72.41
英語の平均点が特段低い。
英語以外の外国語では受験できない大学や、中には韓国語以外でしか受験できない大学があったりする。英語で受験するのがスタンダードで、高校の外国語の授業は英語であるところが多い(と思われる)。受験者数も英語が多い。
英語以外で受験する人は、帰国子女であったり在日外国人に限られるために、問題の難易度というよりは受験者のレベルが高いのだろう、と考えられる(英語以外の問題を実際に見たことがないので、推測でしかない)。

かといって、英語以外を廃止してしまっても、英語ネイティヴや帰国子女が有利ということには変わりない。意外に難しい問題。

世界での話者人口の多寡を基準にするなら、センター試験に他の国連公用語(スペイン語とか)があってもいいと思う。
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YouTubeで「爆問学問×京都大学 テーマ:独創性」を見た感想。

・独創性
「独創」というのは、単に個性的だとか、人と違ったおもしろい発想があるだけではなくて、それを形にする力、つまり"創る"能力が必要。
"original"なだけではなくて+"creativity"というのが不可欠。
そして、何かを創るには、「産みの苦しみ」という言葉があるように、労力を費やさなければならない。
思いつきに執着して試行錯誤を繰り返す粘り強さが必要で、その試行錯誤のためには勉強して基礎的な能力を高めておかねばならぬ。

 大学生になって、大学教授や社会人、ビジネスマンなど、オトナといろいろな話をするようになって思うことは以下二つ。

・高校生までの時分に得られる知識は高が知れている。
 一般に学校の教員の履歴は、
1.小学校を卒業
2.中学校を卒業
3.高校を卒業
4.大学入学。教員免許の取得
5.学校に赴任
と、学校(小中高)に行くための勉強を学校(大学)でして、学校(小中高)に戻ってくる。生涯学校に従事して生きている(当然、例外は少なくない)人とのわずかなコミュニケーションで得られるモノは少ない。
 他に、学校では、同じく学生との交流が多い。知識の量や質が同じような人との交流で得られるモノは、既知の事柄でありあまり価値がない。
 このように、狭い環境で過ごしていては当然視野が狭いまま。

・インターネットなどで簡単に得られる無料の知識は価値が低い。
 有効・有益な知識は無料で簡単には手に入らない。お金を払って本を読んだり、足を使って人に聞きに行ったりしてようやく手に入る。


 しかし、どのような環境におかれても結局は自分の意志や熱量によってしか前進しない。
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ブログを書いて二記事目。書き方がまるでわからないので、他の人はどのようなブログを書いているのだろうと思って少し見てみると、かなりいろいろ気を使っているような感じがする。

自分だけで見る「日記」ではなくて、他人が読む「記事」なので、その体裁一つとっても
見出しや小見出しをつける。
強調したい部分は太字にしたり色を付けたりする。
適度に改行する。
といった風に工夫している。

内容も、ただ書き連ねるのではなく書く順番言い回しも工夫している。
たとえば、はじめに要旨を書いたり、イントロダクションを書いて興味を引いたりして、それから具体例を挙げたり詳細を述べたりする。最後に、記事を受けて考えさせられるような印象的なオチをつけたり、要点をまとめ総括したりして〆る。

このように、おもしろいブログは、大学で学んだ論文やレポートの書き方と同様な注意をして書かれている。私は提出するレポートを書くのにひぃひぃ言っているのに、他のブロガーやサイト運営者は単位ももらえないのにレポートを書き続けているようなものなのか。
恐るべしインターネット。


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自分の趣味趣向・雑多な内容をのんべんだらりと書き連ねるブログでございます。
テスト投稿ついでに何かを書こうと思ったので、最近読んでいる本「自由とは何か」(佐伯啓思 著)の感想を記します。

「自由」について、保守の立場から論じている本。
憲法で国民主権や基本的人権が尊重され、「個人の自由」が保障されている現代では、自由に対する切迫感がなくなった、というような内容から始まる本書。
王政や貴族政治により圧迫されていた昔の人々は「自由」を求めて戦い、論ずるまでもなく「自由」とは何かわかっていましたが、自由が保障されている現代では、却って議論する余裕ができたため、「自由」とは何かが盛んに論ぜられるようになりました。


一般的な自由の定義は、goo辞書によれば、

【以下、引用】
[名・形動]
1 自分の意のままに振る舞うことができること。また、そのさま。「―な時間をもつ」「車を―にあやつる」「―の身」
2 勝手気ままなこと。わがまま。
3 《freedom》哲学で、消極的には他から強制・拘束・妨害などを受けないことをいい、積極的には自主的、主体的に自己自身の本性に従うことをいう。つまり、「…からの自由」と「…への自由」をさす。
4 法律の範囲内で許容される随意の行為。
【引用終わり】


とあります。強調されているのは「個人の自由」ですが、本書はこの「個人の自由」に一体どれほどの正当性があるのか、懐疑の目を向ける本です。
「個人の自由」の概念を追求していくと結局「他人の自由を損害しない限りは何をしてもいい」、すなわち「人それぞれ」という多様性の概念や相対主義に行き着きますが、それは基本的には相互の無関心に基づくものであり、自己中心主義や排外主義につながります。それを回避するためには、他人への無関心に基づく相対主義ではなく、相互の関心に基づく「多元性」、つまり、違う立場同士であれば対立するということを認め、尊重し合い多元性を認めることが不可欠である、という議論が展開されています。


個人に先立ち社会がある、すなわち、他人との複雑な相互関係のネットワークの中で個人はその場の判断をしています。かくして環境による圧され行動する限り「個人の自由」の余地は狭いのではないか、と漠然と思っていた私にとって、本書は大きく参考になりました。
私は小さいころからTHE BLUE HEARTSが好きで、その影響からか(単に自分の我が儘な性格に理由を後付けしているだけな気がしますが)学校の教員や、大きく言えば体制に対して反抗的というか懐疑的な姿勢でいました。「自由」について関心が強かったのですが、それに対して一つの解答例を与えてくれる本だと思いました。
まだ読んでいる途中なので、最後まで読んでまた感想を記そうかと思います。


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