伝家の宝刀を抜く時 | Market Cafe Revival (Since 1998)

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四つの単語でできた言葉の中で、最も高くつくものは「今度ばかりは違う」である(This time is different.)。

☆ 今日の日本経済新聞(第44207号 2008年2月16日)法務面は「村上ファンド事件」の東京高裁判決を取り上げている。見出しは(高裁がライブドアによるニッポン放送株式取得(=村上ファンドのインサイダー取引の原因となった))計画の規模(を)小さく認定(した)」となっており,一見すると村上被告らの責任が矮小化されているかの誤解を招くが,その内容は,元来村上被告らが起こした犯罪は「インサイダー取引」という側面よりも別の側面が大きく,立件しやすさから「インサイダー取引」違反の罪に問うた検察の認識を前提にすれば(村上被告等弁護側が理論立てようとしているように)「微罪に対して加重的・懲罰的量刑」であり「(罪刑法定主義上)量刑そのものの合理性が問われる」ことになり,そういう意味で法理上「執行猶予付き」という量刑が相当であるというものである。


☆ 一審の判決については度々批判した通りである。裁判官の恣意とも思える判決文の一節を読むと,職業倫理の欠如を無理矢理「インサイダー取引」の法理で裁こうとした判事側の苛立ちを感ぜずにはいられない。おそらく二審の判事は「一審の二の舞」を避けたかったのであろう。記事の中で昨秋,高裁判事が検察・弁護の双方を呼び出した上で「(ライブドアの)資金調達を巡る地裁判決の認定(ニッポン放送株式取得代金調達計画の実現可能性とインサイダー情報の決定の関係)に疑問を感じており,「事実取り調べの結果(第一審判決後に明らかになった事実=村上とライブドアの会議時点(04年11月)で買収資金の一部(といっても三分の二)について融資のメドが立っていないという電子メール)を踏まえて実質的に論じて欲しい」旨の要望メモを出していたことに触れている。


☆ 検察側の不審(インサイダー取引という形式犯で実質的な議論を要請される)が判決への伏線となったのであるが,これは逆に言えば金融商品取引法(当時「証券取引法」以下同じ)上,形式犯として摘発しやすい「インサイダー取引」で立件した検察側へのダメ出しになった観がある。残念ながら「一事不再理」であるから,村上は執行猶予付きで「法の網」を逃れられるかもしれない。本人はそれでも不満で上告するようだが,前にこの件に関して書いたように,村上の己惚(うぬぼ)れにも程があるというものだ。


☆ それは見出しからは全然覗えない結論部分に書かれている。「インサイダー取引」という立件が間違っている(というか不正確である)のであって,村上ファンドの「犯罪行為」を立件するのであれば,郷原,久保利両先生が指摘のように,金融商品取引法第157条の適用が妥当であろう。


(不正行為の禁止)第157条 何人も、次に掲げる行為をしてはならない。

1.有価証券の売買その他の取引又はデリバティブ取引等について、不正の手段、計画又は技巧をすること。
2.有価証券の売買その他の取引又はデリバティブ取引等について、重要な事項について虚偽の表示があり、又は誤解を生じさせないために必要な重要な事実の表示が欠けている文書その他の表示を使用して金銭その他の財産を取得すること。
3.有価証券の売買その他の取引又はデリバティブ取引等を誘引する目的をもつて、虚偽の相場を利用すること。


☆ 記事が紹介する高裁の判示はいう。「市場操作的な行為であって,到底証券市場における健全・公正な活動とはいえない」。ワシも全く同感である。フジテレビジョンとライブドアを両天秤に掛けた挙げ句,「塀の上を全速力で駆け抜けた」村上の行為は,インサイダー取引というより,市場や(たとえ「コバンザメ」投資家と揶揄されようとも)一般投資家に対する「裏切り行為」も甚だしい。その村上が,何の権利があって東京証券取引所にぬけぬけと現れ,挙げ句の果てに手前(てめえ)のことを「プロ中のプロ」などとほざき,ライブドアの話を「聞いちゃった」とぬかすことが出来ようか。これほど市場を愚弄する行為もないだろう。まさに最近「雨後の筍」のように海の向こうやこちらで露見している高級(マドフ)からサブプライム級(「和泉のおばちゃん」やら元「バレーボール選手」やら)の「証券詐欺師」と同類ではないか。このような詐欺行為に対して抜くべきものが「伝家の宝刀」金融商品取引法第157条であり,これは決して「インサイダー取引」の如き犯罪(それだけでも十分に罪深いが157条の比)ではない。


☆ それにしても「国策捜査」も構わないが,功を焦っては被告に執行猶予を付けられてしまうとは「秋霜烈日」のバッヂが泣くことだろう。しかし,それにも係わらず検察官諸氏には今回の「判示」にめげることなく「市場」という公共財を守ることに全面的な協力をお願いしたいと思っている。市場が完全に正常化できるとはワシも思っていない。そんなことは出来ない。だが出来ないは出来ないなりに,市場を舐めて一般投資家の生き血を啜(すす)るような犯罪者どもをいつまでも跋扈させてはならないのである。