えせ清貧は貪欲と等しく卑しい | Market Cafe Revival (Since 1998)

Market Cafe Revival (Since 1998)

四つの単語でできた言葉の中で、最も高くつくものは「今度ばかりは違う」である(This time is different.)。

☆ 時々紹介していメルマガに「10秒で読む日経」がある。


http://archive.mag2.com/0000102800/index.html


☆ 今日配信の1705号に共感を感じる部分があったので紹介したい。


> 日本では「清貧の思想」に対して強い共感を持つ人が多い。
物質主義におぼれる人を批判したがる風潮がある。
 
> 私は、日本で流布する清貧の思想は他人を見下す思い上がりの思想と
信じている。


> 自の持てるものを他の貧しい人に分け与えて、自らは貧しくて良しと
する清貧の思想は、施しを受ける者のプライドを砕き、心の苦しみを
与えることに気づかず、自己満足している心貧しい考えだ。


> 神の慈悲の心の前には自分は比較できない心貧しい人間だから、自らは
それを知って心清く、自らの心貧しきことを自覚して生きるというのが
本来の清貧の思想なのだ。


> 経済学者のヴェルナー・ゾンバルトは「愛と欲望」こそが資本主義の
原動力であり、世界経済を発展させ、貧困を無くしてきたとする。


> 自分の好きな女性に、良い思いをさせてやりたいという欲望が、リスク
テイクして新たな市場を生み、富を生んだ。


> そして、新たに創造された市場と富が、虚栄や贅の消費によって、社会
の他の多くの人に滴り落ちて経済全体が拡大範囲するのだ。(トリクル
ダウン効果)


☆ 実はこれと同じストーリィを山本一力が日経夕刊の連載小説「おたふく」の中に書いている。話の背景は寛政の改革の一環として棄捐令(武家の借金棒引き)が札差(両替商=銀行)に打撃を与えるも,怒った札差は武家への新規融資を一斉に止めてしまう(=貸し渋り)。当初は瓦版屋まで駆使して反贅沢を煽った公儀は打つ手を無くしてしまう。このように続いているのだが,なにやら1990年代の本邦(=つまり今現在の米国)をプレイバックするようで興味深い一方で戦慄を覚える。


☆ 「おたふく」の中に描かれたエピソードの中に上記に指摘する「トリクルダウン効果」に近い話が出てくる。それは札差が始めた贅沢がやがて庶民の食べ物の嗜好に反映していった話だったが,一部のデタラメな経営者や投資銀行屋を責めるあまり,90年代初めに三重野日銀を「鬼平」扱いしてその後の猛烈なデフレスパイラルを招く過程に「清貧の思想」が図らずも(著者の意図は関係なく)一役も二役も買ったことは間違いない。


☆ それをもって故人である「清貧」の著者を責めようとは思わないが,あの時の「世間の空気」なるものの招いた代償はあまりに大きかった。その事は忘れるべきではない。結局酷いデフレは20~30代の若者のある部分を様々な犯罪に追いやった。それにより,逆バブルの代償はあまりにも大きく今の本邦にのしかかっている。願わくば,アメリカにこの後追いをしてほしくないと思っている。


☆ 筆者にとって本当の清貧とはこのような人の事を指すのである。そこにはどこにも卑しいものはなく,生きていくことを突き詰める気高さしか感じない。


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