最強のクライマー | どぶねこ小屋

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さて、なにしましょかね

前回投稿・・・・2015/12/9





かっこいい生き方シリーズ(10)



山野井泰史(以下、敬称略)








真のアルパインクライマーの不毛地帯と鼻で笑われていた日本から



世界に通用するアルパインクライマー
が育っていきました






これは沢木耕太郎さんの著書「凍」の中で書かれた言葉で、決して日本人の中にアルパインクライマーが不在だったというわけではありません






ただ





日本のメディアが登山家を扱う場合、必ずエベレストを目指さなくてはならず





だいたいが芸能活動もできる人間でなければ見向きもしないのが常です







そんな中で山野井泰史の存在は、ある特定の出来事だけが注目されてしまいます







2002年10月



ヒマラヤ山脈: ギャチュンカンでの事故











山野井泰史・妙子夫妻は、ギャチュンカンの北壁第2登を目指しました





そして高山病の妙子さんを途中に残して
泰史さんだけがアタック





ギャチュンカン登頂を果たし、下山の途上雪崩に飲み込まれます






その後、3日間ブリザードの中に閉じ込められながら自力で下山





ベースキャンプにてネパールのポーターたちによって救助されました






この事故で、二人とも手足の指の多くを切断する凍傷を負いました







日本人の多くや登山にまったく定見のないメディアは、この事故を遭難と考えます






しかし、世界の山岳会は自力でベースキャンプまで下山したことから、単純に事故に巻き込まれたと考えています






多分に山野井夫妻の名誉を重んじた判断も入っているとは思います






山野井泰史が過去に成し遂げた記録







そして山野井妙子が、長尾姓だった頃に成し遂げた記録など








世界の登山史に残る遺産として与えられた名誉だったのではないかと思います







かく言う某も、山野井泰史の名を知ったのは、まじめに山登りを始めた頃に前述の著書を紹介されたからに他なりません




恥ずかしいことに







かつて新田次郎が書いた小説「孤高の人」
がヒットしたことから




登山史に埋もれていた加藤文太郎を、稀代の登山家として見直していこうという機運が高まりましたが






加藤文太郎と同じく、あらゆる書を読めば読むほど山野井泰史という生き方に飲み込まれていきました






人生を山に捧げ、山からの仕打ちに傷つきながらも尚、山を愛する人生







決してメディアに頼らず、登山用品メーカーからの原稿料を工面して次の登山の
計画を立てているという





NHKの番組でグリーンランド遠征の取材を受けた夫妻が言った言葉が印象的でした









山に関しては、お金を使うけど

それ以外は

どうでもいいです









前を向いて生きるしかありません


振り返っている時間はないです


ギャチュンカンのことなんて


どうでもいいです









我々のごとき、なんちゃって登山の連中が簡単に理解していいとは思いませんが






ストイックに山だけを見つめて




美しいラインを描きながら登ってゆく




それが二人の生き方であり




僕らが志す、山への取り組み方なのです










※…初投稿:H27 / 9/ 24