chiaki_aoiのブログ

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忘れていました。このブログのことを。

ツイッターやその他のツールで、
自分の現況を報告していたので、
すっかりこのブログの存在を忘れていました。

久しぶりに開いたら、
なんとも後ろ向きな記事で止まっていたので、
とりあえず更新だけはしようかと、、、

現在、父と母は同じ施設に入居しています〈2014年末入居〉。
家の近所に出来た新しい施設で、自転車で5分の距離。
隣同士の部屋で、今は毎日、
「おはよう」「おやすみ」が言える距離で生活しています。

やっと望みが果たされました。
入退院を繰り返していたり、転んで怪我をしたりと、
波乱万丈な生活は変わりありませんが、
希望を持ち、望んでいた環境を、手に入れることができました。

世に言う「強い願いは必ず叶う」を実践できました。

これもこれも、
励まし、支え、応援してくださった方々の存在があったからこそと、
本当に心から感謝している毎日です。

苦労はありました。
でも、それを乗り越えることができました。

ここ(ブログ)でも散々、グチや嘆きを書き込みました。
でも、それはその時の自分には必要なことだったのだと思います。

まだこれからも、色々とあるとは思います。
でも、強い願いは必ず叶うと知りました。
だから、これからも、
強い意志を持って乗り越え、生きていきたいと思います。

がんばります(*^_^*)ノ
気持ちが落ち着かない。
また、家族に関しての滅入る内容なので、とばしてください。
どうにもどこかに吐き出さないと、気持ちが落ち着かなくって。。。

本当はまたツイッターにあげようかとも思ったのですが、
長い上に、滅入る内容なので、こちらにしました。
(というか、ブログの存在を忘れかけていて、
はっと、気づいたというか思い出したというか。。。)




以下、近況的、落ち着かないつぶやきです。





母の件で兄にメールし、どうにか同意を約束させるメールはゲットできたが、母が下血したと言ってるのに、状態を心配する一文もなかったので、心配じゃないのか?的なメールをしたら、直接私に連絡してこず、父に、母の様子伺いの電話をしてきた。何、その態度。

しかも、ちょうど私が一緒の時に父に電話してきたから、父が「私と代わるから直接話せ」と言ったら、問答無用で電話を切られた。何それ。どうしてそういう態度がとれる?

父も認知で現状把握が難しく、母の様子を違えて説明していたので、改めて母の様子を詳しくメールしたが、それに関しても、まったく音沙汰がない。

本当に、心から、腹がたって仕方がない。何故こんな思いをさせられなきゃならないのか。どうして両親のことで手を尽くしてる私が、何もしてない人にこんな態度をとられなきゃならないのか。

母を心配する一文もなかったり、返ってきたメールに思うところが多々あったので「こちらから連絡するのは本意ではなかったが両親のことで致し方なくした」等のメールはしたが、それに反発する権利は先方にはないはず。

というか、反発するならなぜ私に直接ぶつけないのか?ケンカの仕方も知らないのか、それともこのラストチャンスとも言える、やり取り復活の機会を先方から潰してくるのは、やはりとことん関わりたくないからなのか?

とにかく、こんな薄情で常識のない人非人と血が繋がっているのが許せない。 そして、こんな感情に振り回されている自分がすごく嫌だ。すごく心の狭い、極悪な人間になった気がして、すごく気が滅入る。早く全部済ませて、関わりを終えたい。心穏やかな生活がしたい。こんな気持ちでいたら、私自身の為にもならないし、良い人生が送れなくなりそうだ。

少なくとも、今感じているこの憤りから解放されたくて、
ここにつぶやきを残してみた。

これで少しは楽になれるといいのだけれど。

ご無沙汰しております。

そして、長いこと更新しないことで、ご心配をおかけしてしまって申し訳ありません。


実は、ツイッターを始めてからというもの、

ついつい安易なツイッターでばかりつぶやいて、

ブログの更新を滞っておりました。



父も住宅型老人ホームへ無事に入居し、自宅とホームを行ったりきたりしております。

母も老健にて、リハビリにはげんでおります。




ということで、

ツイッターの方が、私の近況をリアルタイムに報告できる状況ですので、

改めて紹介させていただきます。




chiaki_aoiのツイッターはこちらです。

chiaki_aoi




このブログの左上の方にも、「twitter」というアイコンがありますが、

そちらからも開くことができます。


ツイッターのアカウントを持っていない方でも、

フォローや書き込みなどはできませんが、見ることはできると思います。


日々のたわいない日常から、両親の介護のこと、

そして大好きな空などの風景を、思いついたときにつぶやいています。


もしツイッターをされている方がいらっしゃいましたら、

ぜひフォローの程、よろしくお願いいたします。

その際、ダイレクトメッセージ等いただければ、こちらからもフォローさせていただきます。



次のブログ更新がいつになるか分かりませんが、

今後とも、よろしくお願い申し上げますです。






入居当日の朝、父は、とりあえず顔色が悪いこともなく、
腹痛を訴えたりすることも、駄々をこねることもなく、
普通に支度をし、食事をしてくれていた。

家を出る時に名残惜しそうな感はあったが、それは見ないふりで、
父の愛用しているコタツ台や、布団を車に積み込み、
そして父も乗せ、施設へ向かった。

自宅から施設までは、車で早ければ20分くらいの距離だ。
母のいる施設のように、自転車で…というのは無理だが、
それでも意外に近場で探せた方だと思う。

着いてしばらくして、契約や、担当者ミーティングが始まる。
厳密にいえば、契約は私一人で対応したので、
父は担当者ミーティングからの参加となる。

入居施設の介護士・看護士・事務の担当の人、
そして、ベッドレンタルの担当者さん、デイサービス先の担当者さん、
トータルで10人くらいのミーティングだ。

そこで、父の今後の生活目標や、生活スケジュール、
リハビリや、訪問看護のスケジュールなどが決められて行く。

まぁ、ちょっと愚痴るならば、
相変わらず父は、人様の前では「良い格好しい」でした。

「ぼくは時間があれば、なるべく歩くようにしている」だの、
「身体のことを考えて、それでこの施設に入居することを決めたんだ」
などと、優等生的な(前向きな)発言ばかりしていた。
どうにも苦笑するしかなかった私です。
(すでに父本人をよく知っているデイサービスの担当者さんは、
私の苦笑している姿を見て、同じように苦笑して返してくれましたが(^_^;))

実際、初対面のスタッフの人には、「自立している人」と見えたようで、
あとから「いや、そう見えることが厄介な、実は物忘れのかなり酷い状態ですから」と、
説明して、注意を促すのが大変でした。
「聞いているようで実は聞いてない」というのはかなり危険ですから(^_^;)

その後、リハビリや、訪問看護、デイサービスへの通いのスケジュールを決め、
すべてがお開きになった時には、もう12:30超えていたため、
父にはそのまま、その施設での初の食事となる昼食を食べてきてもらった。

その間に私は父の荷物をほどき、部屋に持ち込んだ引き出しや何やらに収納して行く。
仏壇は、お線香やロウソクなどの火の気のものは持ち込み禁止なので、
それ以外のものを並べる。
父と母が元気な頃に撮った2人の写真や、去年のお正月にとった写真も、並べる。

そして、とにかくダンボールの中身をすべて棚の中に納め、
父がやることといえば、何がどこにあるのかの、事後確認だけの状態まで整理した。

馴染みのコタツ台と、テレビの向きさえ整っていれば、
少なくとも、そこでゆっくりできる空間が出来るので、
落ち着けるのではないかと、まずはそこを目標に、整理した。

予想は的中。

引っ越し作業や、長時間のミーティングで疲れていた父は、
コタツ台のイスに座り、お茶を飲み、一息。

環境づくりは、一応大丈夫そうだ。



まずは、第一歩。

父は、ショートステイなどを始めた頃と、今回の入居とを、
同じ感触と受け止めたのか、
あるいは、周りに馴染みのモノをちりばめたせいか、
思いのほか落ち着いていたので、とりあえず、私は安心して施設を引き上げた。
いよいよ父が入居した。住宅型有料老人ホームだ。

当日の朝、父の使い慣れているコタツ台や、毛布などを車に積み込み、
施設へ向かい、到着するや、それらを部屋にセッティングし、
ダンボールに詰めていた荷物たちを、次々と開封し、収納していく。

が、荷物も全部開け切らないうちに、打ち合わせの時間になってしまった。

10時から「契約」。
11時から「担当者ミーティング」。

結局、12:30くらいまでかかってしまった。

父はそのまま、施設での昼食となる。初の食事だ。

メニューは確か、鯖の味噌煮。。。
ちなみにこの施設で出される食事の塩分は、1日約10グラムだそうだ。
今まで父は、一日6グラムを目安としていたので、かなり濃いめだ。
ということは、きっと美味しく感じてくれるだろう。

すでに昼食の時間は超えていたので、
他の入居者の方は、もう食堂にはいなかったようだ。
同じフロアの人との初対面は、夕食以降になるのだろう。

その後、私は昼食抜きのまま荷物の整理をし、
どうにか全てを収納し終えたところで、一度引き上げることにした。

これから、父はここを拠点に生活して行くことになるのだ。
なるべく過ごしやすく、快適な空間にできるように、
ちょっとずつ改善していこうと思う。

そして、自宅に帰って、父と母のいない家を見回して、
やはりちょっと切ない気分に襲われた。

母が入院し、そのまま老健へ入った時にも、家でよく幻聴を聞いたが、
今回も、幻聴が聞こえてくる気がする。

母の時は、かすかな、消えそうな声で私の名を呼ぶ母の声が、聞こえた。
今回は、上がらぬ足を引きずりながらパタパタと歩く、父のスリッパの音。

この家で、いつも聞いていた、
トラウマになりそうだったあの音たちが、
私の耳に焼き付いていて、幻聴として過去を思い出させる。

もう、この家で聞くことはないだろう。と、思う。
思うと少し、切なくなる。

が、これでやっと一歩を踏み出せた気がする。

やっと。
やっとここまでたどり着いた。。。

まだ、ある意味始まったばかりでもあるけれど、
しばらく放心状態が続きそうな気もする。。。

ちょっとくらい、一息ついても、いいよね。。。





今後は、この施設から週に一度、デイサービスへ通うことになる。
そして、二週に一度は、
デイサービスから一度家を経由(立ち寄り)してから施設へ帰る、
というスケジュールにした。

父の望む「泊まり帰宅」ではないけれど、
「一時的な、休息的、帰宅」を予定に入れることで、
父の心のストレス軽減になればとの試みだ。

これが工をなして、父が早くこの生活に慣れてくれることを切に願う。

(当日の父の様子は、また別記することとする)。