こんにちは。




改めて、東北被災地を旅公演した事を振り返ります。


昨年の3.11。
私は都内で舞台本番中でした。
お客様にも役者、スタッフにも怪我人が出なかったのが幸いでした。

都内交通が麻痺してたので自宅には帰れず、共演の先輩の家に何人かで泊めて頂いきました。

テレビをつけると地震や津浪による被害の映像がニュースで流れており、言葉を失いました。

あの時の映像は今も脳裏に焼き付いて離れません。


その時からずっとずっと、被災地で暮らす方々の為に何か力になれる、元気になって頂ける事は出来ないかと悩んでいました。

そんな所に、昨年10月頃、劇団ばんぶるびぃ代表の水口てつさん、前田真里さんに『東京公演の後、東北被災地旅公演をやりますが、一緒にやりませんか?』と私にお声かけくださいました。


願っていれば想いは叶うのだと感じ、このチャンスを逃すまいとすぐに承諾して『ローリングスランバー』への出演を決めました。


しかし、出演を決めてからのおよそ半年間は、東北へボランティア公演をしに行く事への不安で悩みました。


そもそも“ボランティア”と言うワードが、とても押し付けがましいというか、偽善たらしい言葉に感じて、それを受ける公演先の方々に、逆に不快に思われるんじゃないか、被災地公演をして回っている団体は幾つもある訳であって、沢山来すぎてて逆に迷惑がられないかとか、そんな事ばかりが頭を過り、今でこそ言えますが、降りようかとも考えました。


しかし、共演者で、ご親族が岩手にいらっしゃる子にポロっと打ち明けた時に、そう思われる方々もいると思うけど、岩手に親戚がいるその子としては、何かしようとする人の想いは受け止めて頂けると思うし、喜んでくださる方もいると思うと話してくれたので、改めて、やはり東北へ行こうと決意することができました。


あの時、ありがとう。







無事に東京公演を終え、いざ来た東北公演。

最初は一関市の縄文ホール。

まだこの辺りは内陸部だったので、

緑の山々がとても綺麗な素敵な所で、岩手に津浪の被害があった事など微塵も感じない様な場所でした。しかし、翌日から回った大槌町、気仙沼、大船渡はまだまだ海岸沿いに瓦礫の山が残り、ガードレールや信号機、看板などが無残にもネジ曲がって、町中を歩いても、家の土台だけが残っている土地、シャッターがベコベコに凹み内装もまだ当時のままの建物が日常として存在していました。


ニュース等で復興は少しずつ進んでると聞きますし、昨年も公演に来たばんぶるびぃのメンバーからも、大分きれいになったと言われましたが、私個人の中では、まだこんなに残っているんだ、と衝撃でした。


同情とか、決してそんな思いではないのですが、あまりにも衝撃的過ぎて涙が出てきました。


ここに人や建物や生活があったんだ。
ここに津浪が押し寄せて、全部飲み込んだんだ。




だけど、そこに住まう皆さんは、そんな事を感じさせないくらいお元気で、優しくて、私が仮説住宅に住んでいる方々へ公演案内のビラを持ってお伺いした時も、お夕飯の支度時で忙しいのに嫌な顔1つしないでお話を聞いてくださったり、公演を観に来てくださったり、そして大いに泣いたり笑ったりしてくださって。


自分達が笑いや元気を届けに行くつもりで来たのに、寧ろ私の方がお客様の声や表情から元気を頂いてしまいました。

ありがとうございます。



中には石巻市からきてくださったご家族。
(お名前を挙げて良いかわからなかったので敢えて伏せさせて頂きました。)

気仙沼や仙台から遠いのに、ありがとうございました!!



町はまだ良い状態とは言えないけれど、今回関われた皆さんは温かくて他人にも手を差し伸べてくれるような素敵な方々ばかりでした。


東京を出て、この目で現状を見ることが出来て本当に良かったです。


個人的な主観で書いたこの文章を読んで不快になった方がいたらすみません。



東北の更なる復興と、これから起こりうる災害への被害が少しでも防げる事を祈っています。

そして人としても、俳優としても、誰かの力になれる、そんな存在になれるように今日からまた進んで行きたいです。



長文、最後まで読んで頂きありがとうございましたm(__)m



今回演じた『ミツ』
みっちゃん、ありがとう。