聖ヒエロニムス | レオナルド・ダ・ヴィンチのノート

レオナルド・ダ・ヴィンチのノート

万能の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチの活躍を紹介していきます。

ヴァチカン美術館は古代オリエントから現代アートを網羅する美術館、博物館、図書館、システィーナ礼拝堂、宮殿の一部等を公開する世界屈指の所蔵品を誇るミュージアムである。


このヴァチカン美術館の絵画館(Pinacoteca)第9室に、レオナルド・ダ・ヴィンチの未完成作品「聖ヒエロニムス」が展示されている。


レオナルド・ダ・ヴィンチのノート-聖ヒエロニムス
聖ヒエロニムス、1480~1482年頃

Rome, Pinacoteca Vaticana


レオナルドが「聖ヒエロニムス」を描いたのは、フィレンツェのヴェロッキオ工房から独立したばかりの28歳頃の作品だ。


ヒエロニムスは340年頃にダルマティアで生まれた神学者で、重病にかかったことがきっかけで、神学の研究に生涯をささげることを決意し、シリアの砂漠で隠遁生活を送ってヘブライ語を学んだ。その後 ローマ滞在中にラテン語訳聖書の決定版を生み出すべく、全聖書の翻訳事業にとりかかった。この聖書が中世から20世紀の第2バチカン公会議にいたるまでカトリックのスタンダードであり続けた「ウルガータ」訳聖書となる。


384年に書かれた書簡の中で、聖ヒエロニムスはこう綴っている。

「私のそばにはサソリと野獣しかいませんが、時折私は可愛い少女たちに囲まれているように感じ、凍って瀕死状態にある私の肉体の中に欲望の炎が燃え上がります。そのために私は泣き続け、厄介な肉体を何週間も飢えさせているのです。私は主が心の平成を復活させてくれるまで、しばしば朝から晩まで胸を叩き続けています。自分に対する怒りと厳しさのために、さらなる荒野へと突き進んで行きます。渓谷やごつごつした山や険しい崖を見つけると、跪いて祈り、私の罪深い肉体に対する天罰としてそこへ向かいます。」 


レオナルドはこの場面を端的に描いており、やつれた聖ヒエロニムスの心臓のあたりが内出血したように黒ずみ、右手には石を持っている。右下にいるのは、聖ヒエロニムスがかつて足の棘を抜いて助けたライオンである。


当時のフィレンツェではライオンが飼われていて、シニョリーア広場で狩のイベント等が行われていた。レオナルドの解剖手稿には「かつて私はライオンがどのように子羊を食らうかを見たことがある。フィレンツェでのことで、そこには常時25から30頭のライオンが飼われていた。ライオンは2~3回舐め回すことによって子羊の体を覆っている毛皮をすっかり剥がしてしまい、こうして丸裸にした後で食べるのである。」と書かれており、実物を観察した上で描いたことが推測される。


この作品が未完成となった原因は、次の「東方三博士の礼拝(マギの礼拝:これもまた未完成のまま放置されてしまうのだが…)」の制作依頼が来たためとも言われている。



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